日本語のリズム

 備忘のため、問題だけメモしておく。
 日本語4拍子説というのがある。単に音楽だけではない。私見の範囲内であるが多分4拍子説の最初の代表者である別宮貞徳氏においてもそうであるように、歌舞音曲のそれというよりむしろ和歌や俳句の57調リズムについてである。日本語の発語リズム単位は、シラブルではなくモーラつまり「拍」であるが、57調は、4拍リズムであって、佐藤良明氏が縦横に論じられたように、春歌から宇多田ヒカルまで、日本人の身体リズムに刻み込まれている。しかし、では、隣国の韓国でも伝統的リズムは3拍子であるのに、日本の伝統的リズムが4拍子だというのは何故か。こういう分野の第一人者小泉文夫氏は、騎乗のリズムである3拍子に対して水田農作業のリズムが4拍子ではないか、という説を提唱された。日本人も騎乗はするが、日本では馬までが「なんば走り」だったというのが補説になっている。
 しかし、素人ながら、もうひとつ納得できないような気がずっとしている。ひとつは騎乗と稲作という身体動作のリズムに関わることだが、それよりも、「日本語」リズムと「日本音曲」リズムの関係に関わる。マシンガン発語といわれる日本語の発語リズムそのものに、少なくともそこにも、4拍子の原型があるのではないか。この問題をもう少し考えてみたいと前から思っているのだが、最近たまたま片岡義男氏の昔のエッセイを読んだところ、まさに言語リズムをとりあげた文があった。そのことをきっと忘れてしまうだろうから、ここに備忘のため記しておく。いずれ、少し考えて書くかもしれないが。