F・ノート5 

 さて、外的世界との絶えざる物質交換によって、持続的に更新する活動状態にあることが、ここでいう「生きている」ということである、と一応したのであった。
 先ず、二つのことを確認しておこう。
 ひとつは、生命体のあり方がそのようであるなら、「生き続ける」のは、物質ではなくシステムだということである。物質的に「あり続ける」<もの>とは違って、<生き-もの>にあっては、あるときそれを形作っていた物質は、そこからなくなるのであって、あり続けるのは、そのようにして絶えず自らを更新する一定の生−化学的なシステムである。
 もうひとつは、ここで一応、生命体内での生−化学的な活動(反応)と、外界との生−物理的な物質交換とが区別されたことである。前者が基本的な生命活動である。後者については、例えば原始的な生命体では、たまたま浮遊して来て表面に付着した物質が取り込まれるだけで、呼吸とか摂食とか、いずれにしても活動というには足りないようなことが起こっているだろう。
 さてしかし、われわれは、以後、いま「基本的な生命活動」といった過程、内的な生−化学過程(生理過程)には、関心をもたない。で、原始的な生命体の場合には活動とはいえないような、物質交換過程にのみ注目してゆくことになる。
 いうならば、絶えず回っているエンジン内部で起こっていることにではなく、燃料補給や吸排気のことだけを問題にしようというのである。ただし、もちろん、この比喩のまずい点は、今日最初に書いたように、エンジンの場合には物質的にも同じものであり続けるが、例えばわれわれの身体も、ほとんど新たな物質に入れ替わってしまっていることであるが。
 とにかく、そんなわけで、物質交換だけに注目する。