F・ノート12

 ちょっと幕間。私の好きなジョークのひとつに、山で迷ったグループの小話がある。有名なジョークなので、聞いたことがある人もいるだろう。・・・・・ あるグループが山登りの途中で道に迷った。そこで、小高い丘に登って、みんなで地図と辺りの地形を見比べたのだが、なかなか現在地が分からない。その時、一人が、少し離れた嶺を指さして叫んだ。「分かったぞ! われわれは今、あの嶺にいるんだ!」
 世界は、こういう風には構成されてはいない。世界を構成する<私>は偏在的ではなく場所限定的であり、かつ「あの嶺」などではなく常に<いま・ここ>に縛り付けられている。また、世界は、残念ながらテレビ画面や「どこでもドア」のように、迷った山中の世界から一瞬にして自宅前の世界に切り替わったりしない。<私>をどのように特別扱いしようと、世界は、私の身体が、少なくとも<いま・ここにあるかのように>構成されている。そして私は、<いま・ここ>から拡がる世界に、身体的に関わってゆく。やれやれ、この道を右に下れば山小屋がある筈だ。30分も歩けば行けるだろう・・・・・。
 さっきの話で思い出したので、おまけ。こちらは全く関係ない話だが、もうひとつ有名なジョークを紹介しよう。・・・・・ 結婚したばかりのミュージシャンが新居によさそうなアパートを見つけた。1階の部屋と2階の部屋が空いているらしいので少し迷ったが、結局2階を借りることにした。引っ越し早々、仲間が集まってお祝いパーティーが開かれ、当然セッションとなった。ところが、音楽が盛り上がった真夜中、電話が掛かってきた。誰からだろうと受話器を取った花嫁は、笑顔で夫にいった。「あなた、やっぱり私たち2階にしたの正解だったわ。1階はうるさいんですって!」
 これも、<いま・ここ>から離れた場所に<私>を仮設しようとする際のズレとしてわれわれの話につなげられないこともないが、無理はやめよう。単なる幕間のジョークである。