1-2:杜の都

 「もりの都」と聞くと、仙台を挙げる人が多いだろう。「もり」はもちろん森であるが、仙台の場合は、普通、「杜」と表記される。「杜の都、仙台」、というように。
 藩祖伊達政宗の植林奨励策以来というから、仙台は古くから、豊かな屋敷林など森林が美しい城下町であったのだろうが、しかし「杜の都」という呼称は、案外新しいようだ。
 仙台は軍都でもある。1871(明治4)年に四鎮台のひとつとして置かれた東北鎮台が、73年に仙台鎮台に改称され、やがて1888(明治21)年、軍政改革によって生まれたのが第二師団である。旧仙台城内に司令部を置くこの師団は、日清戦争の威海衛攻略戦以来、次々と過酷な戦場に送られる。あの「餓島」ガダルカナル戦で、辛酸極まりない多数の戦死者を出すことになるのはずっと後のことであるが、ともかく第二師団は、日露戦争でも、遼陽会戦、奉天会戦などに参戦し、大量の戦死者を出した。
 そこで、1904(明治37)年、青葉山仙台城本丸に、招魂社(のち宮城縣護國神社)が建立されたのだが、それを期に、天守台が初めて一般開放される。こうして、それまで高みから街全体を見渡す機会の少なかった一般市民が、天守台に登って、緑に覆われた城下町仙台の景観を眼にすることとなり、やがて「杜の都」という呼称が使われるようになったのだという。だから、青葉城のイメージを背景に、「杜の都、仙台」といういい方が定着したのは、ようやく大正時代のことらしい。
 何故、「森」でなく「杜」か。漢字本来の意味では違うそうだが、国訓の「杜(もり)」は、単なる自然林ではなく、いわゆる「鎮守の森」を意味している。地域を鎮圧し自らを護るために築かれた旧城内に、国内の反乱鎮圧を目的として軍が鎮台司令部を置き、やがて外地での戦死者が出ると、その怨魂を鎮めるための招魂・護国神社を城内に置く。もちろん他県でも、城下町で旧城内に護国神社を置く例は多いが、いずれにしても、仙台が、「森」ではなく「杜」という文字を使って「杜の都」と自称しているのは、単なる「森が美しい街」というだけではなく、暗黙のうちに、「鎮守、鎮魂」を背負った森の聖都といったイメージを想定しているのでもあろう。