1-7:汽車以前

 熊本にこだわるわけではないが、あとで比較するために、ここでまた横道に入って、少し前の時代の旅を見ておこう。例えば、蘇峰と蘆花、熊本が生んだ徳富兄弟の旅である。中野好夫『蘆花徳富健次郎』より)
 先ず、1878(明治11)年夏、熊本から京都への旅。・・・熊本市の郊外、坪井川河口の百貫石港を河船同然の小蒸気船で発ち、長崎に着いて数日間も飛脚船を待ち合わせ、やっと飛脚船に乗りかえて、海路、神戸に到着。そして、おそらく三十石船で淀川をさかのぼり、ようやく京都に入っている。当時の正常ルートらしいが、「小蒸気船」に文明開化が顔を出しているとはいえ、ほとんどが昔ながらの船旅である。
 次に1887(明治20)年夏、京都から東京までの2泊3日の旅。・・・先ず人力車で三条から逢坂山を越えて草津に出て、旧東海道に入り、鈴鹿越えで、関、亀山を経て四日市に着く。そして汽船で横浜へ行き、横浜から最後だけ汽車を使って、ようやく東京新橋へ。京都から四日市まで、山道もずっと人力車だったのだろうか。ようやく最後に汽車が顔を出している。(→地図参照)
 そして、1889(明治22)年5月の熊本から東京への旅。・・・熊本を発って、これも博多まで人力車。それから船に乗って大阪まで運ばれ、大阪から大津までは汽車。そして琵琶湖を船で渡って、長浜から再び汽車で東京へ。東海道線は、この年7月1日に新橋〜神戸間が全通するのだが、5月なので間に合わなかった。人力車あり海上の船あり琵琶湖の船あり汽車ありと、複雑な旅である。