1897年-26:本家産業革命

monduhr2007-04-15

 和辻の回想は、こうであった。「私たちの村」で「明治二十年代の末から三十年代のはじめにかけて、台風のように吹きぬけていった」「産業革命」とは、目に見える形としては、「女たちが楽しそうに」作っていた「手織木綿」の着物が姿を消し、みんなが「紡績工場でできた」着物を着るようになっていったことであった。・・・ちなみに、彼の生まれたのは姫路近郊の村であるが、これまた前に書いたように、その時期とは、山陽鉄道が次々と延長敷設されていった時期である。
 もちろん、機械織り綿の着物と山陽線を直接関係づけるのは強引過ぎる。だが、産業革命の総本家イギリスの場合は、はっきりしている。私たちが「産業革命」と聞いたとき浮かぶイメージは、18世紀後半のイギリスで、綿糸、綿布を大量に生産する紡績機、織機が、またそれらの機械を工場で動かす蒸気機関が次々と発明され、さらに蒸気機関車が発明されて、綿工業都市マンチェスターと貿易港リヴァプールに世界最初の鉄道が敷かれる、といった物語ではなかろうか。
 だが、「産業革命」を辞書でひいていみると・・・「industrial revolution:動力機械の発明と応用が生産技術に画期的な変革をもたらし、工場を手工業的形態から機械制大工場へ発展させ、その結果社会・経済のあらゆる面に生じた変革と発展の総過程。一八世紀半ば頃、イギリスに最も早く起こり、欧米諸国へ波及した。日本では、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、日清・日露戦争の間に遂行された。」大辞林
 別の辞書では、こうである。「18世紀後半に英国に始まった、技術革新による産業・経済・社会の大変革。19世紀前半にはヨーロッパ各国に広がった。機械設備をもつ大工場が成立し、大量生産が可能となり、社会構造が根本的に変化して、近代資本主義経済が確立したが、その過程で人口の都市への集中、小生産者・職人層の没落を伴った。」大辞泉
 前者は日本にも少し言及し、後者は引き起こされた国内の社会問題にも少し触れているという違いはあるが、基本的な部分は、もちろん同じである。
 だが、・・・そこには、「綿」ということばがない。