集団的自衛権

 首相になるずっと前からの狙い通り、9条を攻め落とすつもりでいる男の支持率が結構高い。
 多くの人々は、とっくの昔から、自衛隊という名の組織を認め、それが事実上軍隊であることを認め、他国との安全保障条約の締結を認め、そして先年からは、遠く海外に武器をもって出かけることも認めた。残るのは、憲法<だけ>である。
 「戦争」は嫌だが「自衛」はやむをえない。・・・そう思って、人々は「自衛隊」という名の軍隊を許して来た。
 しかし、「やむをえない自衛」こそが「戦争」である。いや、それ以外に戦争はない。
 かつて、<天皇の軍隊>の将軍たちも、「侵略のために」出かけるのだとはいわなかったし、国民も、そのつもりで兵士を送り出したのでは決してなかった。わが国の死活に関わる「生命線」を<侵害され>、「自存自衛のため」に<やむにやまれず>戦うのだといい、またそう信じて出かけていっては、殺し、奪い、壊し、焼いたのであった。
 当時の「生命線」は、中国大陸や東南アジアのどこかにあったようだが、いまはどうか。入ってこなければたちまち死んでしまう輸入面でも、売れなければたちまち倒産してしまう輸出面でも、身ぐるみ海外に強く依存するこの国にとって、「生命線」は至るところにある。しかもその上、「集団的」に、他国のそれも護ろうということになると、世界中のどんな国や地域に戦争をしかけても、「自衛」という名目が立つわけである。
 もちろん、名目だけでよい。例えば、「大量破壊兵器がある」というのは<名目>であって<事実>ではないが、それで戦争ができるのである。