ホントのようなウソのような(3)うしろ続々

 ともかく、「しろ(代)」は、「代」という漢字にひきずられると「代わり(のもの)」といいたくなるのですが、むしろ原義は、「しろく」なりゆくにつれて浮かび上がる輪郭で区切られた「領域」ということでしょう。
 「のりしろ(糊代)」「ぬいしろ(縫い代)」は説明するまでもありませんが、あの選手はまだ「のびしろ(伸び代)」があるなあなどというのも、成長する「余地」があるということですね。「なわしろ(苗代)」も、表面を掻きならす「しろかき(代掻き)」作業をして、苗のために用意され確保される空間です。
 問題は、「のみしろ(飲み代)」や「(みのしろ)身代」金などです。辞書では、これらは、「ある物の代わりとして出される品や金銭」と説明されています(例えば前記の辞書)。もちろん、ことばは、いろんな意味を派生させ転成させてゆきますので、「代わりの品」としても悪くはありません。しかし、派生や転成をしても、コア・イメージというのはあるわけで、それは「代わり」というよりむしろ「区画」あるいは「余地」であるとした方が分かりやすいように思います。「飲み代」を酒と引き替えに渡す「代金」ととれば、酒の「代わりの品」といえばいえなくもありません。しかし、「飲み代」を、「飲むために取り分けておく分」として、「懐に飲み代がある」とは「嚢中には酒を購う<余地>がある」と意味だととればどうでしょうか。
 「身代金」も同じです。それを、人質の「代わりに(交換に)」渡す金、つまり「身」の「代金」ととれば、確かに、辞書のように、「ある物の代わりとして出される品や金銭」ということになります。けれども、昔のことですから語弊のあるいい方ですが、酒を購うことと女性を購うことの間にそれほど違いがなかった時代には、駕籠舁きの嚢中に酒を購う余地があるように、お大尽の築いた「身代(しんだい)」のうちには、女性を身請けする「余地」もあろうかというものでしょう。近代というわれわれの時代にあっては、人身売買は犯罪ですから、身代金も、誘拐の場合にしか問題にはならないわけですが。ま、このあたりは、武将の人質身代金などもあったでしょうし、ちょっと怪しいのですが、少なくとも「飲み代」は、「くいしろ(食い代)」などと同列で、稼いだ金のうち、飲むために確保できる金、酒を購う際に使う余地のある金、ということだとしたいのです。「飲み代」というものが、<支払う>段階で問題になるよりむしろ、飲みに出かける前に、<ある/ない>が話題になるのも、その辺の機微によるのではないでしょうか。(またまた続く)