少数民族

 鈴木孝夫田中克彦両氏の対論(『言語学が輝いていた時代』、岩波)が、オモローです。何度も書くように、単行本は買わないので、これも知人の机に見つけ、まだ読んでいないのを借りたのですが(^_^;)。とにかく、両巨頭の話は縦横無尽・・・
 いや、今は本のことではありません。ただ、その中に、こういう段(P.42-3)があった、というだけのことなのですが。



 田中:〜エンゲルスはものすごい文明主義者で、少数民族を彼ほどバカにした人間はいないですよ。
 鈴木:つまり、いずれはいなくなる、抹殺すべきゴミだ、クズだというのね。
 田中:早く滅びたほうがいいというね。しかし、これも理由は十分あるのですね。チョムスキーがそれなのですね。〜

 最後にチョムスキーが出てきますが、上の発言も、

 田中:ぼくはまったくの民主主義の申し子ですから、マルクス主義のいんちきさが、言語学を通すといっぱい見えてくるのです。
 ということで、言語学という視点ぬきに受け取ると誤解の危険があることを書いておかなければなりません。が、もう一カ所(P.46-7)ひいておきますと、


 田中:〜エトノスを階級によって置き換えることによって、エトノスを否定しようとしたのです。そうしないと、マルクス主義との整合性が維持できない。〜少数民族を解放していたらマルクス主義は成立しなくなっちゃうのです。それをぼくは根本的な矛盾だと言っている。
 鈴木:解体しちゃう。存在できなくなっちゃう。
 田中:でも、「民族の解放」というウソをつき続けている。

 私は、言語学についても、中国とマルクス主義との関係についても全く門外漢ですし、両氏の発言についてコメントすることはできません。しかし、どうもやはり、チベットのことは、かなり根が深いようです。