ややこしや〜、あるいは自己言及的推論

 猟奇的な事件が続いています。
 ところで先日、妹を殺しその遺体を切断した被告に対して、判決が出されました。殺人行為については「有罪」、しかし遺体損傷行為については「無罪」、ということらしいのですが、これはどういうことなのでしょうか。短い新聞記事だけからでは、おおざっぱなことしか分かりませんが、「ややこしや〜」の話です。
 こういう事件ではよくあることですが、弁護側の申請により精神鑑定が行われ、それに基づいて弁護側は、被告は犯行時「責任能力を問えない」精神状態にあったとして、殺害と遺体損傷いずれも無罪を主張。対して検察側は、いや「責任能力はあった」として、殺害切断いずれも有罪を主張。
 というわけで、両者の立場は、ある意味はっきりしています。
 ところが判決は、殺害時には「責任能力があった」が切断時には「責任能力がなかった」、というのです。
 これはどういうことなのでしょうか。
 先ず、精神鑑定についてです。検察側は、「鑑定結果は推測、仮説に基づいており信用できない」と主張しますが、裁判所は、一応鑑定を信用します。そして、「殺害時は心神耗弱、遺体損壊時は心神喪失だった」と微妙な区別をする鑑定報告に基づいて、こう判決を下します。すなわち、殺害時には被告の「行動を制御する能力」は「減退していたが、著しいとまでいえない」。一方、遺体損傷時には、被告は「精神障害により別の人格に支配されて」おり、「心神喪失の状態」にあった、と。
 手順としては、鑑定報告をどの程度採用するかを含め、判事が最終的な判断をするわけですので、以下、話を余計「ややこしや〜」にしないよう、鑑定と判決はまとめて扱うことにします。
 さて、鑑定および判決は、殺害と切断という隣接した行為時点での、被告の精神状態が違っていた、と判断したわけです。もちろん詳細は分かりませんが、問題は、その判断が、どのように導き出されたかです。
 他人の「精神状態」は、その言動などから間接的に知ることしかできません。検察側の主張のように「推測」だから「信用できない」というわけではないにしても、間接的な「推測」であること自体は間違いありません。
 問題は、その「推測」が、どのような材料、データを出発点としたのかですが、精神状態についての診断には、X線像のようなデータはもちろんありませんから、「推測」するための材料、データは、基本的に、患者ないし被告の言動ということになるでしょう。おそらく精神科医は、過去の言動および現在の言動から、慎重に診断を下すのだと思われます(後者を観察する際には薬品使用なども含めた様々な手法があるのでしょうが、今は問題の外におきます)。
 ところが、いま問題になっているのは、殺人と遺体損傷という極く近接した二つの過去の行動時点それぞれにおける精神状態です。その違いを「推測」するための基本的材料が、二つの時点での「行動」であるのだとすれば・・・
 ややこしや〜・・・殺した時の精神状態を推測する主要データは殺したという行動で、切断した時の精神状態を推測するためのデータは切断で・・・。え〜と、こちらが「喪失」で、こちらが「衰弱」、というのもこちらは殺人で、でこちらは切断。え?違う?、こちらが殺人で衰弱、でこちらが切断で喪失、ややこしや〜。
 ただし、上にも触れましたが、もうひとつ、「推測」(鑑定、公判)をする現時点で、患者ないし被告が自らの過去の行動をどう想起し心理的に関わるか、ということも補足材料にはなります。しかしこれは、少なくとも公判での証言については、後からの操作も可能であって、実際被告は、公判で自らの心神喪失が問題になってゆくのに平行して、最初は供述していた当時の記憶を次第に曖昧化したり覚えていないといったりし始めたということです。もちろんこれを意図的操作だと決めつけてはいけないでしょうが、またそうではないともいえませんので、このことはさしあたり問題の外においておきます。
 (思わず長くなってしまったので、ここで切ります)