少年よ、大志を抱いてどうなるか(5)

 今日は本筋が短いので、もうひとつ横道のおまけに、医者の例でも前に付けましょうか。
 維新後の制度改革は、各分野の人材についても再編をしてゆかねばなりません。旧役人を新官僚にしたり、旧武士を新軍人にしたりなどなど・・・・それぞれの分野で、実にやっかいな問題が多出し、維新政府は、それらの処理に腐心し苦労したことでしょう。とりわけ医師については、それまでの主流であった漢方医たちを、槍術をやめさせ西洋砲術を教えて西洋医にする、といったことはできません。そこで政府は、医学教育を西洋化して新医師を養成する一方、漢方医の反対を押し切り医師認定から事実上彼らを排除してゆきました。こうして、やがて病院でも開業医でも、全国的に西洋医の診療を受けられる体制ができてゆくのですが、その場合も、もちろん学士様の医師が別格の権威をもってゆきます。戦後かなりたってからでさえ、ずっと旧帝大医学部出身者で占めてきた県医師会会長に、新制大学医学部出身者がはじめて選ばれたとき、前身は医専じゃないかということで、医師会が大もめにもめたという県もあったようです。
 まあ、それ自体は全くどうでもよいバカな話なのですが、ことほど左様に、昔の学士様は別格だったというお話で・・・・・日本初の学士認定機関、札幌農学校に戻ります。
 「大志を抱け」と呼びかけられた青年たちからは、みなさまご承知のように、実際に、それぞれ思う分野を切り拓き、大志を成就させて名を残した人物が続出します。そういえば、漱石が紙幣の顔になったとき、同時に選ばれた新渡戸稲造も、札幌農学校の2期生ですね。ちなみに、二人は同時に紙幣に登場しそして同時に退場するのですが、なぜこの二人が退場させられ福沢諭吉が残ったのでしょうか。神奈川県職労連の「現代紙幣:考」で考察されていますので、是非どうぞ(→ここ)。
 ・・・というように脱線続きですが、ともかく、学士様であろうとなかろうと、それぞれ「大志を抱き」成就させた先人たちを敬すべきことは、いうまでもありません。
 けれども一方、農学校生の中には、「大志もいいが、私は平凡な人生で結構」などと考える横着な御仁もいたでしょう。「平凡な人生」といっても、もちろんそれなりに恵まれた人生だったわけですからね。少なくとも、私なら間違いなくそうしています(^_^;)。それがひとつ。
 もうひとつ。大志を抱いて頑張って開拓しながら、あまりの荒れ地で撤退した人もいるでしょう。でもまあ、そういう人も学士様でなくなるわけではありませんから、「平凡な」学士様のレベル、つまり、それなりに恵まれた人生から下に落ちないですんだはずです。
 ということで、大志を抱いてもよし、抱かずともよし、抱いて失敗してもよし、いずれにしても、「それなり」の保証があったわけです。
 「大志を抱け」といわれてもいわれなくても、そりゃ、安心して、挑戦しますって。・・・・・