少年よ、大志を抱いてどうなるか(4)

 さて、「少年よ、大志を抱け」という有名なことばは、「(平凡な人生に満足しないで)大志を抱け」、といったようなイメージだと・・・私たち凡人は考えます。けれども実は、札幌農学校というのは超エリート学校であり、「平凡」といっても、庶民の平凡とは格がまるきり違います。
 1872(明5)年あるいはその翌年といえば、「学制」で基礎教育がスタートしたばかりで、まだ東京帝大もありません。京大も早稲田慶応もずっと先です。もちろん農学校ですから農学が柱ですが、何しろ日本で初めて学士号授与を認められた教育機関だそうですからすごいものです。
 松山での漱石のことを前に書きました(→07/3/15)。漱石夏目金之助は、英語教師としてはじめて松山中学に赴任しますが、迎えた校長の月給が60円。もちろん旧制中学(愛媛県尋常中学校)の校長ですから、ミスター狸も、町の立派な名士でしょう。ところが、新米教師漱石の初任給が80円。校長より高給で迎えられたのは、ひとえに帝大出の学士様だったからです。
 ただし、同じ流れでこれも書いたように(→4/44/5)、「学士様」の値打ちは、歴史を追って次第に下がってゆき、中には文字通り「平凡な人生」を余儀なくされる場合も出てきますが、それは社会的(国家的)要請に応じて、学士様の数が増えてゆくからです。だが、クラークが呼びかけたのは、何しろ日本初の学士様予定者ですから、「大志を抱け!」といわれてもいわれなくても、青年たちの未来には、凡人とは比較にならない恵まれた人生が待ち受けていたはずです。地位も仕事も前途洋々、その上、「学士様ならお嫁にやろか」ということで、上流のお嬢様に大モテでしょうしね。
 というわけで、「少年よ、大志を抱け」というのは、ぶっちゃけ、こんなことになりますか。
 「この学校は、新国家が期待と力をこめて設立した、日本初の学士授与教育機関である。だから、ここを卒業すれば、何もしなくても、君たち全員には、「学士様」としての輝かしい人生が保証されている。だが! それだけではない。開国したばかりの日本は、どこもかしこも未開拓の原野だらけである。新知識をもった学士様が、さらに少し高い志をもって、どこかの分野を開拓すれば、必ずや君たちは、その分野のトップとして名を残しまたは大儲けできること間違いなしである。学士様の人生だけで満足しないで、さらにもっと大志を抱け!」。
 そりゃ、感銘を受けて張り切りますって。