少年よ、大志を抱いてどうなるか(6)

 毎日更新ということで適当に書いているため、脱線続きで本筋が見えなくなってしまったようですが,が、あと数分で日付がかわります。取り急ぎ・・・
 昨日の末尾に、こう書きました。・・・・・ クラークが呼びかけたエリート青年たちには、どう転んでも、それなりの前途が確保されていたわけで、「大志を抱け」といわれてもいわれなくても、そりゃ、安心して、挑戦しますって・・・・・、と。
 誤解されたかもしれません。札幌農学校の学生諸氏の恵まれた超エリート性をあげつらって、彼らの「大志」にケチをつけることが目的だったように読めたかもしれませんね。しかし、そういうことを書こうとしたのではありません。逆にまた、エリートならぬ庶民には「大志」を抱く権利はないのだ、などといったりしたわけでも、もちろん全くありません。
 「小さな家」に住む開拓農民の娘ローラもまた、志を抱いて、大草原を出てゆこうとします。「夢に向かって進むのはいいことだ。それこそが開拓精神だ」「でも、無理しなくてもいいのよ。このままここで暮らしても、それなりに幸せな人生が送れるわ」「分かってるわ。私、お母さんを尊敬してるもの」「失敗したら、いつでも戻って来いよ」「お姉ちゃん、頑張って」・・・・・
 北の開拓者たらんと集まったエリート青年たちも、西を目指ざしてきたしがない開拓者の娘ローラも、(「開拓」で追われたり奪われたり殺されたりする人たちのことまでは意識にはなかったかもしれないにしても)、共に、「志」を抱き、夢に向かって進みます。境遇がかけ離れた両者にあった共通点は、彼らが共に、「志」を抱いても、または抱かなくても、たとえまた失敗しても、それなりの人生は可能だという、前途への安心感によって支えられていた、ということでしょう。
 甘い!! ・・・という声が聞こえてきます。格差格差というが、それならレースにチャレンジしろ、そして勝ち抜け。エントリーしない者にも、能力なく破れてた者にも、それなりの道があるなどというのは、全く甘い!
 「若者よ、大志を抱け!」。負ければ転落する、後がない生存競争に自らを投入し、必死で勝ち抜け!!
 もちろん、競争社会とか格差社会とかに批判的な人々は少なくありません。でも、そういう人の中にも、名はあげませんが、最近の若者は甘やかされているとか厳しさが足りないとかいったり、夢がないとか志がないとかいったりする人が少なくないように見受けられます。
 ・・・・・と、実は、ここまでが余計な前置きだったのですが。