経済コラム(また)

 もう書きたくはないのですが、先日のことがあったので、ちょっと目をとめたところ・・・・
 例えばある日(24日、龍)のコラムでは、秋葉原事件が取り上げられ、「〜日本自動車産業の現場派遣労働者としての過酷な経験がこの事件のきっかけとなっていたことに注目したい」、と書かれています。短いコラムながら、経済のプロなのですから、私たち素人よりもずっと深い指摘があるのかと思って読むと・・・
 「過酷」といいながら、コラム子は、「彼の勤務先も優秀な工場に違いない」といいます。実際、「私は日本の工場を見学して、その秩序と緊張感はすばらしいと思っていた」。「外国の工場では、作業者が見学者に対して視線を投げかけることもあり、コンベヤーも心持ちゆったりと動いて生産性では勝負が付いたと思っていた」、と。
 先日21日に、毎日新聞の配信記事(井上英介氏)を基に書いたとき(→ここ)、鎌田慧の『自動車絶望工場』について触れました。もちろん、自ら臨時工となっての体験ルポと、見学者として訪れただけのコラム子の感想を比べるのはばかげています。 
 けれども、新聞に「最優秀工場派遣労働の闇」という題で、「日本自動車産業の現場派遣労働者としての過酷な経験」についてコラムを書こうというほどの方が、つまりこういった問題のプロが、文庫本でも読める基礎文献を読んでもいないのでしょうか。あるいは、読んでいてなお、速いラインで視線をあげることもなく働く臨時工たちを見学して、日本の工場は「すばらしいと思」い、外国との競争で「生産性では勝負が付いたと思っ」だけだったのでしょうか。
 もちろん、「優秀な工場」を見学して「すばらしいと思っ」たのは、「生産性」の視点からであって、現場労働者の視点からではなかったのであり、その視点をいまも貫いて、「彼の勤務先も優秀な工場に違いない」というのなら、それはそれで一貫していますし、上記の本などを無視しても当然でしょう。
 ところが、「秩序と緊張感はすばらしいと思っていた」とか「優秀な工場に違いない」といいながら、事件が起こってはじめて気づいたのか、「しかしその秩序と緊張感の裏でにはもっと恐ろしいものがうごめいていた」などと、人ごとのようにあっさり書くのです。これがプロの書き手というものでしょうか。
 プロの書き手といえば、別の日(26日、山人)には、「食料価格急騰の犯人」という目を引く題で、こんなことが書かれています。
 「食料価格の世界的な上昇が続いている。〜最近の急騰は異常である」。もちろん、世界的な需要拡大などが持続的な上昇要因となっているが、けれども、「この1年の異常な価格急騰」は、それだけでは説明できない、と。なるほど。
 そこで、コラム子はこう続けます。この異常な急騰は、「他の要因によって説明されなければならない。それが「懲りない投機」ではないかと、筆者は考える」。つまり、「行き場を失った投機資金が食料品市場に流れ込み、価格を大きく押し上げ、さらなる上昇期待を生む、というスパイラルが生じているのではないか」。
 これがプロなんですかねえ。恥ずかしながら、私のような素人でも、「食料だけの問題ではありませんが、国際資金は、値上がりする物こそを投機対象として大量に買い占め、値上がりをさらに助長します」、と書いています(→ここ)。この程度のことは、誰にでも想像できることであり、また実際誰彼が書いたり話したりしていることですので、「恥ずかしながら」ですが、まあ書くこと自体は許してもらえるでしょう。けれども、異常な価格急騰の要因は、投機資金の流入にあるの「ではないか、と筆者は考える」、というような書き方は、これは恥ずかしくて、素人にはとうていできません。これこそプロの口調なのでしょう。
 すみません。毎日更新の自己ノルマにおされて、とりあげるほどのないことにイチャモンをつけてしまいました。お詫びします。
 毎日更新も1ヶ月を過ぎ、そろそろやめた方がいいかもしれませんね。