経済コラム(2)

 すっきりしない読後感ということですが。
 例えば、先のコラムは、「ひとえに」「企業」が元凶だと書いていますが、これはちょっと、人ごとのような書き方ではないでしょうか。署名者個人がどうだったのかは別として、あの頃、新聞をはじめとするマスコミは、そのような「企業」の動きを解き放ち後押ししたコイズミ「改革」を持ち上げ、「抵抗派」批判を繰り広げたのではなかったでしょうか。
 また、年功序列、終身雇用といった安定的な雇用・賃金制度はもはや過去の話となってしまった」というのも、不思議な書き方です。あの頃マスコミは、「年功序列、終身雇用」などを、日本経済の足枷となっている古い雇用システムだと批判していたのではなかったでしょうか。いまも同じ立場で、「年功序列、終身雇用といった雇用・賃金制度が過去の話となってしまったのはよかったが(しかし新たな問題も生じている)」、とでも書くのなら分かります。しかしコラムは、「安定的な雇用・賃金制度(が)もはや過去の話になってしまった」ことを嘆いています。
 昔、戦争がありました。そして戦後、あのようなひどい戦争に突っ込んで行った責任者として東条以下が戦犯に問われ、戦後「平和と民主主義」の旗手となったマスコミもまた、「ひとえに」軍の暴走が問題だった、といったのでした。もちろん、それはその通りでしょう。けれども、では新聞はどうだったのでしょうか。
 かつて、軍事解決以外の動きを「腰抜け外交」と罵倒し、ある意味では軍部以上に好戦的となって軍をけしかけ国民を煽った、当時の新聞を覚えている人は、今ではほとんどいないでしょう。
 一方、「貧困再生産」という「悪しき現状」を招いたのは、「ひとえに」企業のせいである、とコラムはいいます。それはその通りでしょう。けれども、ほんの数年前に、コイズミ「改革」をけしかけ国民を煽った新聞やテレビのことは、まだかなりの人が覚えています。
 ごく短いコラムに対して、少し言い過ぎたようです。新聞自体が売り上げ競争の中にいるのですから、戦争の時代には戦争を煽り、平和の時代には平和を擁護する、身上の軽さが必要なのでしょう。昨日はコイズミを持ち上げ、今日は格差に眉をひそめる位のことは、何ほどのことでもありません。