悪役ネバドロ

 「いわゆる西部劇」などの話をしましたが、「いわゆる戦争映画」もまた、もはや消えて久しくなりました。
 「いわゆる西部劇」のように、「インディアン」と撃ちあって爽快感だけ感じさせるなどということはもう絶対できませんが、戦争についてもまた、ベトナム戦争以後、反省的に繰り込まねばならない事柄が多く、爽快どころか重い映画しか作れません。
 その上、いまは3Kな職場が若者に敬遠される時代です。「3K」については、「キタナイ、クサイ、キモチワルイ」とか「キツイ、キケン、キラワレル」とか諸説あるようですが、戦場には、それら全てがあてはまります。
 しかし、もうひとつ大きな原因としてよくいわれることですが、「強敵」の消滅もあるでしょう。第二次大戦の記憶が薄くなって、ナチスあるいはナチス的な仮想国が敵役として使えなくなりましたし、冷戦終結と共に、ソ連も「東側」的な仮想国も、栄光ある敵役の座を降りました。かといって、森林や砂漠の多い土地などを領土とする「独裁国」などは、強敵というにはスケールが小さくて、ランボーなど個人または小集団の敵にはなりえても、強大国アメリカの軍隊が総力をあげて立ち向かわねばならないほどの相手ではありません。もしそんなことをすれば、ヘビー級のボクサーがモスキート級の相手をKOするような、面白くない映画になってしまいます。
 ということで、ご承知のように、昨今の「強敵」は、例えば「地球外」に求められたりします。地球外の知的生命体との大戦争
 ところで、地球外の生命体といえば、昔は「火星人」が代表でしたが、いまは多分、「宇宙人」と答える人が多いでしょう。
 昔の「宇宙人」代表である火星人は、大抵タコ形をしていましたが、「未知との遭遇」あたりからか、UFOから降りてくるような宇宙人は、透明性の高い身体に1対の大きな目がついた姿をしているようです。
 ところが、そんな姿形では、敵」には見えませんので、宇宙人は、「敵」として出演する場合には、「汚い、醜い」といった、何らかのマイナスイメージを身にまといます。そしてもうひとつ、「粘液質」というか、ネバネバ、ドロドロとした身体性。
 問題・・・なぜ、粘液、粘液質は、マイナスイメージを惹起するのでしょうか。