ネバドロ(2)

 毎日更新はやめようと思いながら、昨夜なども睡眼朦朧で書いたため、おかしなことになっています。戦争の話で書き出しながら、最後の「粘液質」は、「エイリアン」が頭に浮かんだからでしょう。でも、あれは「戦争」じゃないから、筋違いですね。まあでも、それで続けましょう。
 ところで、空港とか役所とかには、「Alien」という札を立てたエイリアン用窓口があったりしますが、ご承知の通り「外国人」のことで、つまり私たちはエイリアンに毎日のように出会っているわけですが、日本語で「エイリアン」といえば、それはもうあのエイリアンのことですから、中にはギョッとされる方もいるかもしれません。って、そんな人はいないでしょうが。
 私はその類の映画は(いや他の類もですが(^_^;))ほとんど観ていませんが、地球外からやってくる生命体の中には、大きさだけでも、寄生ウイルス型から巨大怪獣型まで、様々なものがあるようです。が、われわれと大体同じ程度の大きさのものについては、「宇宙人」と「エイリアン」というの2種類のことばが使い分けられ、友好的な「宇宙人」には透明感と光、恐ろしい「エイリアン」には粘液質と闇、というような割り当てができているように思います。もちろんこれは実にいい加減な話で、「エイリアン」にも乾燥したゴキブリのような姿のものもあったようですし。でもまた、侵入して地球人に化けているエイリアンには、見破られて殺されると蒸発して消えるものが少なくありませんが、その際一瞬、エイリアンの本体であるかのように、何かネバドロの液体が残ってすぐ消えるようなことがあります。 
 しかし、ネバドロというのは、どうなんでしょうか。例えば、すり下ろした山芋に納豆とオクラと生卵を混ぜ合わせると、それはちょっとやりすぎかもしれませんが、少なくとも中年以上の男性の中には、喜んでご飯にかけて食べる人が少なくないのではないでしょうか。あるいは、ヨーグルトと生クリームと蜂蜜をアイスクリームにかけてフルーツをあしらえば、多分多くの若い女性が喜んで食べるでしょう。ネバドロがまずいというわけではありません。
 では、ネバドロが、怖いエイリアンの側に割り当てられ、あるいは、そうはいえなくても、神や友好的宇宙人の側の光あふれる透明な世界にはあまり出てこないというのは、どういうことなのでしょうか。
 ヒトに似ていて怖い姿形をイメージ化すると、どうしても死体がひとつのモデルとなり、腐乱死体への連想が働くのでしょうか。
 突然ですが、先日、惜しいことをしました。「ゲド戦記」がテレビで放映されたのは知っていましたが見なかったところ、「あラナだ、あユパだ、あハイジだ、あレプカだ・・・・」その他突っ込み所満載だった、と後で聞きました。いえ、そのような失礼な感想は、私が見て感じたものでは決してありませんが、ただそれを聞いて、惜しいことをしたと思ったわけです。
 というのは横道で、(ゲド戦記では殺される)お父さんの話なのですが、宮崎駿の評価を決定づけた「ナウシカ」は、知られているように、原作マンガ版と映画版で相当異なっていますが、ドロネバについても、相違があります。(続く、というほど大したことを書こうとしているのではありませんが)