ネバドロ(3)

 「忘れる」ということを特技とする私ですから、似た話を前に書いたことがあるような気もします。が、書いたとしても最近ではない筈なので、気にしないことにします。もし最近だったらお笑いください。しかしそれより、こういった分野については、非常に詳しいオタク論者の方が、深く細かい検討議論をしておられるに違いありませんから、私のような素人が余計な口出しをするとボロが出ます。ごく大雑把なメモだけにしておくことにします。
 さて、宮崎駿にとって、風や空とともに、透明な水が特別な意味をもっていることは、よく知られています。確か初期から洪水の後の水没した町を楽しく描いた短編があったのではないかと思いますが、水中の建物といえば「カリオストロ」もそうですね。以下、彼の作品では、空気や風、そして透き通った水、従って空や湖といった舞台が、偏愛といいたいほどに多く選ばれます。というだけでなく、それらは単なる舞台を越えて、いわば聖なる意味をもっています。主人公はそれらを愛しそれらから愛され、また物語を統べる神的な存在がそこを住処にしていたりするわけです。
 で、透明な風や水の反対が、ネバドロですね。
 宮崎氏の前期代表作である「風の谷のナウシカ」もまた、風を愛し風に愛される王女の物語ですが、腐海腐海の支配者王虫(字が違いますが面倒なので)をも受け入れ愛することができるナウシカも、実はネバドロは苦手です。
 映画版でも、腐海の底の浄化された世界は、サラサラの砂、透明の水、あふれる光、の世界である一方、毒菌に冒された森の樹は、毒菌糸で内部がネバドロになり、そして何より最終場面では、強敵巨神兵がネバドロ姿で現れ、ネバネバドロドロに溶け崩れてゆきます。
 ただ、全てを腐らせる腐海を世界浄化システムとして、また破壊王虫を再生王虫として捉え直す宮崎は、それほど単純ではありませんから、例えば王虫幼虫のドロ血を浴びることでナウシカは聖化されたりするわけですが。
 その点は、マンガ版ではもっと顕著です。映画では、クシャナの軍勢が風の谷に侵攻した最初のクライマックス場面で、ナウシカは、父の部屋に侵入した機甲兵に思わず激昂して剣を振るうのですが、マンガ版ではそうではありません。風の谷に侵攻したクシャナ軍は、巨神兵のエンジンキイを、巨大ナメクジのような虫を使って捜索しようとするのですが、そのネバドロ虫が身体に這い上ろうとした時、ナウシカは、「汚らわしい!」(とはいわなかったかもしれませんが)と激昂して剣を抜くのです。(続)