覗き魔時代(4)

 「僕らはそういう路地を歩くときには、路地の周りの家のほうをじろじろ見つめることはしません。ちょっと横を向くと、文字通り鼻の先はだれかの生活空間なので、そういうところをのぞき込むのは失礼なことだという意識が働いていると思うんです」。「「公道からの風景だから公開を前提としているはずだ」ではなくて、「公道を通る者はその鼻先の生活空間はのぞき込んではいけない」というのが、日本の都市生活者のモラルなんです」。
 ほんとにそうですね。ただ、都市の路地と違って、農家ではたいてい、道に面した門も入り口も開けっぴろげで、「生活空間の様子が知れてしまうことに対してわりと無防備です」。けれども、だからということで、農村では他人の家や庭先を「じろじろ見つめ」たり「のぞき込」んだりしても「失礼なことだという意識」は不要だと思っている「都市部生活者」がいるとするなら、いないと思いますがもし万一いるとするなら、それは「都市生活者」の思い上がり以外の何ものでもありません。「都市部」でも農村でもどこでも、親しい近所の人は別として、「だれかの生活空間」を「じろじろ見つめ」たり「のぞき込」んだりすることは「失礼なことだという意識」は働いている筈です。「「公道からの風景だから公開を前提としているはずだ」ではなくて、「公道を通る者はその鼻先の生活空間はのぞき込んではいけない」というのは、「都市生活者」も含め、誰にとっても生活者の「モラル」であってほしいものですね。
 悪い癖で、くどくなりました。その話はもう締め切って、第2点。といいながら、続きにも当たるのですが。
 さて、ほんとにそうなんですが、残念なことに、「モラル」だけに頼っているわけにはゆきません。第2点というのは、その問題です。
 「そういう文化ですから、東京の都市部で路地を歩きながら10メートルごとに360度周りを見回して歩く、なんていうことをやっていると、確実に30分以内に警察に通報されます。手にカメラでも持っていて通りからの風景を撮りためていたりしようものなら、僕の家のあたりのストリートビュー空白地帯なら職務質問の後、池上署か田園調布署にご同行を願われることうけあいです」。
 う〜ん、これはどうでしょうか。もし実際の会話なら、もちろん私は、「それは安心な街ですねえ」と応じるでしょう。「でも、怖い街ですねえ」ということばは飲み込んで。
 昔のことですが、ある夕方、まさに「東京の都市部の路地」を歩いていた私の友人が、若い男とぶつかってちょっとモメかけたことがあったそうです。すると、風呂帰りのおじさんが近寄って来て、友人に「兄さん、行っていいよ」と声をかけ、その場を引き取ってくれたとのことです。友人が振り返ってみると、おじさんは若者の背中を押しながら、のれんをくぐるところだったそうで、おそらく、「わしの顔を立ててよく我慢してくれた」、と、一杯飲ませたのだと思います。・・・・・もともとは、これが路地にふさわしい光景だったのじゃないでしょうか。
 けれどももちろん今は、そういう光景を求めても、もやは詮無いことであるでしょう。団扇片手に夕涼みの縁台将棋に興じているおじさんたちや、買い物籠片手に井戸端会議の花を咲かせているおばさんたちの姿が路地から消えてしまっている昨今、あちこちの表札など見ながらうろうろしたりしていると、たちまち警察に通報されてしまうのが、今の時代だと思わねばなりません。
 かつての路地住まいのおじさんなら、いうかもしれません。「そういう街には住みたかないね。うろうろしてるたって、誰かの家を尋ねてきた人かも知れねえじゃねえか。先ず、「どこかの家をお探しですか」と声をかけるのが人情ってもんだろ。もちろん悪い奴ならフン捕まえちまうがね。声もかけねえで警察に通報するなんて、嫌な時代になったもんだね」。
 「おじさん、それは時代が古すぎますよ」。(続)