覗き魔時代(3)

 (承前)ほんとに、「都市部の路地」だけの問題なのでしょうか。「都市部」といえないような所では、「生活空間の様子を一方的に全世界に機械可読な形で公開」されても困らないのですかねえ。
 なるほど、例えば農村では、お互いに畑も庭も見え見えで、「覗かれては困る」などというようなことはないように見えます。「都市部の路地」とは様子が違っているように思われて当然なのかもしれません。
 だが、もう少し丁寧に観察してみましょう。そのためのヒントもまた、樋口氏の文中にあります。
 「この季節、なにかのはずみで、軒先で下着同然の格好で涼んでいるおじさんと目があったりします。そんなときも、その人が近所の風呂屋でのなじみとかだったら、ちょっと立ち話をするかもしれませんが、そうでもなければ会釈をするような格好でもしてそのまま目をそらし、お互いに見なかったことにする、というのが礼儀です。」
 くつろいだ格好で涼んでいる姿を、見知らぬ通行人にあからさまに見られたくない。「目をそらし、お互いに見なかったことに」してほしい。当然それが人情です。そしてもちろん、「生活空間の様子を一方的に全世界に機械可読な形で公開する」ストリートビューは後者の極限ですから、これはもちろん嫌ですね。
 ただし、と氏も付記しておられます。「下着同然の格好で涼んでいるおじさん」が、「近所の風呂屋でのなじみとかだったら、ちょっと立ち話するかもしれません」。・・・・・レトロな光景ですねえ。もともとは、これが「路地」じゃなかったでしょうか。こういうおじさんと目が合いながら「見なかったことに」して通り過ぎようとすると、「なんだい、今日はやに他人行儀だねえ。おすまししてデートにでも行くのかい(笑)」などと、冷やかされたりしたものです。家の前の朝顔も、私の家の生活空間だからという感覚で囲い込んでいるのではなく、通りかかった近所の人が「見て」楽しんでくれるのが嬉しいのですから、「咲きましたねえ」と一声かければ喜んでくれます。井戸端会議の奥さんたちも、取り込み忘れた洗濯物を「見なかったことに」などせずに、「降って来ましたよ!」と一声かけるでしょう。もちろん、一定のモラルは当然ですが、大抵のことは、見たり見られたりお互い様で、むしろそれを通して近所づきあいが営まれて行く・・・・・
 などと、書いたのですが、でも、こういう「日本の生活文化」は、もはや「何かのはずみ」にしか見られなくなりました。
 一昔前、縁台を出して「下着同然の格好で涼んで」いるおじさんの前を通りかかるのは大抵近所の人ばかりだったので、他人行儀の「見て見ぬふり」など必要なかったのですが、今はオジサンはクーラーのきいた居間にいて、道を通るのはほとんど見知らぬ他人になっていますので、そういうよその人には「見て見ぬふり」をしてほしい、というのが今の路地の現状なのでしょう。
 思えば、「見る−見られる」と「見て見ぬふり」、「見る」ことをめぐる許容と制限は、私たちの重層的な社会生活での、それぞれの共同性に対応しています。
 例えば家族にも、見られてもよい姿と見られては困る姿があり、例えば、パンツだけで昼寝をしていた自室から、家族の視線が想定される居間へ出てゆく時には、Tシャツ位は着てゆきますが、ところが突然想定外の客が入ってくると、「見て見ぬふり」をしてくれている間に退散して、短パンなどをはいて来ます。同様に、もともと路地で想定内なのは、互いに顔見知りの近隣の人の視線なので、下着同然の姿でも立ち話ができますが、しかし通りかかった見知らぬ他人には、「見て見ぬふり」をしてほしい。
 もしも事情がそのようだとすると、例えば農村風景なども別様に見えて来るのではないでしょうか。「都市部」とは違って、例えば農村で生活する人々は、一見したところ「見る、見られる」ことに無頓着に暮らしているように見えるかもしれません。だとしてもそれはおそらく、日頃は近隣に住む顔見知りの人の視線だけを想定していれば足りる、村落共同生活のあり方への安心感によるのではないでしょうか。村人たちが、日頃互いに見たり見られたりすることに無頓着に、大らかな暮らしを営んでいるように見えるからといって、それらの人々が、見知らぬ他人が勝手に村の道の隅々にまで入り込んで、そこいらをやたら撮影してまわり、世界中から覗けるように公開することまで想定し、許容しているとは到底思えません。
 もちろん、「都市部の路地」には、独特の生活感覚、生活文化があるでしょうし、そこから、「世界的覗き見」は嫌だ、やめてほしい、という独特の気持ちがわき起こることは納得できます。だから、「都市部」の人は、さしあたり自分たち「だけ」のことをお願いしたいということなのかもしれません。それはそれで結構なのですが、しかし、「生活空間の様子を一方的に全世界に機械可読な形で公開」することがはらむ問題点は、「都市部」だけのことではないのではないでしょうか。
 「ご検討をお願いしたいことはひとつだけ。日本の都市部の生活道路をストリートビューから外してもらえませんか」、というお気持ちは分かります。そこで、できるならもう一声、「もしも都市部でやめてもらえるとするならば、都市部以外でもやめてもらえませんか」、と続けて頂ければ、もっと共感できるのですが。
 以上が、失礼ながら。第1点です。(続く)