いまごろポニョで、なんですが

 期待しないで見てきたのですが・・・
 と書くと、普通は、それが案外面白く・・・、と続くのでしょうが。
 何しろ、専門家(漫画家)の、こんな感想もあるほどですし。
 「や〜〜も〜〜かわいくて楽しくて美しくてドラマティックで荘厳でほんとうにすばらしかったです!!」「宮崎監督はじめ、ジブリのスタッフみなさまに素敵な作品をありがとうございます!!と言って廻りたいです!!!」(松田奈緒子)→こちら
 ということで、まあ、見て損ということはないだろうと、期待しないで見てきたのですが・・・
 少なくとも私には、案の定以下でした。前に読んでいた「たけくま」氏のことばに、流石と納得しました。→こちら
 「だいたいポニョって、あれは何なんですか?」「人面魚」「妖怪の人魚」。
 「物語の進行も、わかったようなわからないような、不思議な展開をします」。
 で、たけくま氏は、こう続けます。
 「そこに理屈もへったくれもなく、ただ宮崎駿が作りたいから作ったというものです」。「宮崎駿が、ここまでの好き放題ができるのも、ひとえに日本映画史上未曾有の興行成績を上げ続けているからに他なりません」。「とにかく売れていることは事実であり、この事実の前には、あらゆる批評の言葉は意味を失います。どんなに宮崎アニメの矛盾を指摘したところで、この資本主義社会においては、売れているものが絶対的に正しいわけですから」。「もしかすると、若き日に社会主義者であった宮崎駿さんは、あえてわけもなく売れ続けることで、資本主義に対する嫌がらせをしているのかもしれません」。
 「この映画」が売れているというのは、「宮崎が売れている」のでこの映画も大勢見に行くので「この映画が売れている」ことになる、ってことなんでしょう。私も、今さらながらその大勢の一人なので大きい顔はできませんが、ちなみに私が見に行った日は、観客席は全部で7人でした。
 というわけで、たけくま氏にああ言われてしまうと、もう何も書くことはないのですが、折角ですのでちょっとだけ。
 もちろん、私が「期待しないで」見に行ったのは、「まあそうはいっても、案外楽しめるかも」、と思ったからです。映画によっては、楽しめるなどというのは最初から棄てて、監督の問題意識や手法への興味から、駄作と分かっていても見に行くなんてこともありますが、いや私はありませんが、そういう方もいるでしょうが、私がポニョを見に行ったのは、「どうやら、それほどのものではなさそうだけど、そうはいっても、まあ楽しめるのじゃないかな」、ということだったわけです。宮崎氏は、「とにかく今度は、子供に楽しんでもらおうと思って作った」、といっているようですし。
 ということなのですが、どうも子供的に楽しくなかったですねえ・・・。いやもちろん童心に返るなんてできるわけありませんから、想像ですが。
 たけくま氏も言及されていますが、町山智浩氏は、例えば、海の魚を水道水に入れて即死しないのはなんじゃこりゃ、などなど、「なんじゃこりゃ」点をつとに指摘しておられますが、そのひとつに、母親の危険運転をあげておられます。
 もちろん、映画での危険運転は、面白かったり楽しかったりします。何しろスピードとスリルですからね。アニメであろうと実写であろうと、映画の醍醐味のひとつです。
 大変な嵐になって、職場でも徹夜警戒態勢となっているのに、崖の上の家に帰ろうとする母親が、小さい子供を乗せた車のハンドルを握って、猛烈な嵐の中を突っ走り、避難勧告が出されていて、ここから先は行けませんと消防団員か警官が強く制止しても、急にアクセルを踏み込んで、制止線を突破し、大波のかぶる急坂道を、猛スピード急ターンで駆け上がる。いやあ、面白いですねえ・・・って、それがちっとも面白くないのです。何故でしょうか。
 無茶なカーチェイスが面白いのは、私たちが逃げる車か追う車のドライバーに「なる」からであって、どうしても逃げたい、どうしても追いかけたい、という理由への共感があるからこそ、無茶な行動に感情移入し、手に汗握るわけです。だから、このシーンでも、何としても崖の上の家に一刻も早く帰りたいという理由があれば、「面白い」シーンになるのですが、それが全く何もありません。後から、崖の上に自家発電で電灯を点けたかったらしいというようなことがありますが、後出しの理由ですから役に立ちません。それに大体、大波が迫ってくるので「逃げたい」という気持ちは、大波の先端を駆けるポニョの「追いつきたい」という気持ちと相殺されますので、「逃げろ!」なのか「追いつけ!」なのか、どっちやねん、と乗れません。
 まあ、理由といえば、この母親が無茶な母親だというのが理由といえば理由でしょうか。変な人を見かけると、「何をしてるのですか」と聞く前に、「やめてください!」と怒鳴りつける。何も急ぐ理由はないのに、幼い息子を乗せて急ハンドル急ブレーキの危険運転で坂道を駆け下る。無茶な危険をおかして家に帰ったのに、またすぐ、危険な家に5才の子供を置き去りにして戻ってゆく。しかし、母親が無茶だというだけで、その無茶な行動に共感するわけにもゆきません。
 いや、こんなこといくら書いても、たけくま氏のいうように、意味ないですね。
 しかし、無茶なストーリーでも面白ければいいのですし、大人が面白くなくても子供にとって面白ければいいのですが、これ、子供にとって面白かったんですかねえ。歌や映像で前もって宣伝洗脳した効果はそれなりにあったのでしょうが、映画を見てのプラス面白効果はあったのでしょうか。
 子供だからとあなどってはいけません。こんな感想があったそうです。「ボニョあほやな!ラーメンにはハムとちごてチャーシューやろ!」