もしかして

 いやあ、何か大変みたいですねえ。と騒ぐと、またそれで大変になってゆくということなのですから、やっかいな事態です。
 ごろごろ平和主義などと、暢気なタイトルにしていましたが、「大恐慌」という言葉なんか使われると、暢気な気分ばかりではいられません。
 29年の同じ10月、ウォール街に始まった大恐慌は、未曾有の雹雨となって世界中の経済を凍らせてしまいます。もちろん破産没落する大金持ちも出ますが、最大の被害者は、何といっても大量の失業者たちの群れ。そういえば、例のチャップリン・スタイルは、労働者の菜っ葉服ではなく、つまり元々彼はああいう服を着てステッキをついていた身分だったのか、あるいはそういう人物から玉葱1個と引き替えに服と帽子とステッキをもらったのか、いずれにしてもあんな身なりの浮浪者が珍しくはない街角だったのでしょう。
 それにしても、起こったのは、誰が見ても明らかに、資本主義、市場経済のシステム不良によるフリーズですよね。しかも、あのときは、無産労働者の祖国、スターリンソ連だけはひとり影響を免れたわけですし。
 ということですから、突如こんな無茶なことになる自由勝手な資本主義はいかん、これはもうOSを入れ替えて、計画統制経済社会主義だ、ということで革命が起きたかというと・・・ご承知のように、そんなことは起こりませんでした。
 いや、それがそうとも言い切れないのですね、これが。革命は、実に実におかしな歪み像として現れた、といえなくもないわけです。例えば、ご承知のように、ナチスというのも、Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiつまり、国家社会主義ドイツ労働者党だというわけですし、チャップリンが扮した髭の小男は、「私はボルシェヴィズムから最も多く学んだ」などといっており、失業者問題だけは克服してみせたんですね。ユダヤ人抹殺をはじめ、それはもう実に無茶苦茶極まりないながら。
 一方本家の方は、ニューディールケインズ革命ですが、これは国家介入による計画経済ですから、自由勝手主義者たちからは、社会主義だ!と非難されます。そういえば、例のオラトリオ「森の歌」は、計画経済下の自然改造賛歌で、粛清逃れのためにこんなスターリン賛歌を作ってしまったショスタコーヴィッチは、初演の日に痛飲してむせび泣いたそうですが、それはともかく、ニューディールの目玉もテネシー川の大規模開発です。昔、児童向け本で、コムソモールみたいな組織で活躍する子供の話を読んだ記憶もあります(内容はすっかり忘れてしまいましたが、TVAということばをその本で知ったことは覚えています)。もちろん子供だけでありません。アメリ共産党の流れの人々も、少なくともその一部は、いわゆる計画経済信奉と人民戦線ということからでしょうか、嬉々としてニューディールに賛歌いや参加したみたいですね。その辺のことは全くうといのですが。
 もちろん、日本でも、軍部の「統制」派とか「統制」経済とかは、自由勝手財閥資本主義の克服を目指し、ウヨクっていうけど、結局あれは「アカ」だったといわれたりもするわけで、ともかく、入り乱れてゆきます。
 そしてさらに、ニューディールってのは、国家の手による計画的重点的な、大規模な有効需要創成で恐慌によるフリーズを融かして、危機を乗り切ろうということで、つまり、民間で金が動かないのなら、国がバンバン金を使おうというわけですね。もちろんその金は税金なので、そこがひとつ大きな問題ですが、それよりもっと大きな問題は、戦争です。国がバンバン金を使う一番有効な方法は、何といっても戦争。日本のように、不要な道を造ったりして土建屋さんだけを儲けさせても、たかが知れていますし、「そんな道いらんやろうムダ遣いやろう」と叩かれもします。ところが戦争で国民を煽れば、むしろ国民の方が、「税金出すぞ飛行機作れ軍艦作れ爆弾バンバン作ってバンバン落とせ!」と支持してくれます。というわけで、結局、或る意味、ニューディールの延長で世界大戦に突っ込んでゆくわけです。
 いい加減な放談を書いてしまいました。細部は信用しないでください。しかし、恐慌というやつは、決してあなどれない、やっかいなやつだった、ということは、間違いなくいえます。ご用心、といって、何をどう用心していいのやら、それが分からないですよね。