安全圏

 今年最期のガソリンをいれた。例の時期には確か最高176円という記憶があるが、それが昨日は97円/L。これも、どこかで「百年に一度」の経済激変に連動しているのであろうから、単純に喜んでばかりはいられないのだろうけれども。
 だが、どこを開いても厳しく暗い見出しばかりの新聞を閉じて、ガラス戸の内側に座れば、まるで春。窓外は、静かで穏やかな日曜日である。
 貧しくても、いや、全員が貧しくありさえすれば、静かで穏やかで安全な生活を、誰もが送れるのではないか。「ウサギ小屋で一億総中流」というのは、なお一国内のことであったが、「ウサギ小屋で70億総下流」でいいではないか。そう思うのだが、やはりそうはゆかないらしい。もちろん、私も車などに乗っている。
 百年前に比べて、富裕な1億人の生活は、計り知れないほど豊かになっている。だが、最下層1億人の暮らしは、百年前より確実に厳しくなっている。それでも、生きているだけましというべきだろうか。人類何百万年の歴史のうちで、この百年ほど、大量にまとめて人が殺されたことはない。月へ行こうがどうしようが、人類の叡智などというものは、この程度のものである。
 聞かれれば誰もが、つつましく静かで穏やかで安全な生活が願いだなどというが、それは口だけのことなのだろう。それより人は、人を殺すことが好きらしい。もちろん、自分は安全なままに。
 だが、どうすればよいのだろうか。
 小中学校での携帯禁止は、帰路の安全上困るという。しかし、仮に何かがあった時、携帯でどうしようというのか。遠くの親より、すぐ近くの大人に助けを求めればいいと思うのだが。しかしそうではない。昨今は、どんな大人も安心できない。なるほど確かに。いまや、安全な場所は、家の中だけである。そんなわけで、年末ということもあって、住居の安全対策に関心が深い。他人の侵入を防げば安心だ、というわけである。家のドアにカギを掛けるだけでは足りない。建物内に他人が入れないようにしよう。いや、それでも足りない。町全体を要塞にしよう。
 しかし、どうやらムダである。
 今日聞きかじったところによると、今年の殺人事件のうち、殺人者が被害者の家族だった事例は、実に49%だという。
 もはや逃れられる安全圏はない。何しろ人は、人殺しが好きなのである。