白洲次郎という人(15)

 ○前にもお聞きしましたが、途中退役して改めて日本に留学され、日本戦後史の研究者になられたわけですね。
 「シューレンで体験した出来事の重要性が分かればこそ、現場で体験した出来事の歴史的意味をきちんと捉え直したいと思ったのです。ところが歴史というのはきりがなくて、結局それが仕事になってしまいました(笑)」
 ○そこで、改めてお話を伺いたいのですが、おっしゃるように「押しつけ」というのは、常に9条改正の理由に使われますね。
 「でも当時は、やっと戦争が終わった直後ですから、軍や戦争はもうコリゴリというのが、少なくとも大半の文官の本音だったと思います。」
 ○日本側、つまり幣原が戦争放棄を言い出したという説もありますが。
 「それは誤りですが、そういう話が出るのも、今いったような事情だったからでしょう。それより何より、天皇制ですよ。憲法問題の最大の争点は。」
 ○確かに、ポツダム宣言受諾やむなしとなってからも、とにかく何とかして国体を護持しようという、もうそれだけでしたからね。
 「で、『天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾』すると回答して、「玉音放送」の中でも『朕は茲に國體を護持し得て』といってますね。天皇制安泰は確保したぞ、というわけです。」
 ○でも降伏を迫った連合国の方は、その保証を与えたわけではないでしょう。
 「私などから見れば、そこにも「日本的」な何かを感じますね。「契約」じゃなく「宣言」と「暗黙の了解」で物事が動いてゆくという。もちろん現実には、連合国というとソ連も中国も中心メンバーですから、当然、天皇の戦争責任を問い天皇制は廃止すべきだという声がくすぶっています。」
 ○でもアメリカは、天皇の戦争責任を不問にして間接統治した方がよいという政治判断をするわけですね。
 「政府にも軍にもいろんな考え方がありますし、GHQ内にも意見の相違がありますが、とにかくマッカーサーはそのつもりで厚木に降り立ちますね。」
 ○マッカーサーという人は、フィリピンでもそうですが、植民地総督のような支配意識が強いですよね。総督が現地傀儡政府の上に立って間接的に全権を掌握するようなイメージだったのでしょうか。
 「そういうことより、とにかく急いでいたんです。」
 ○それは連合国との関係ですね。
 「そうです。戦争期には、合衆国はソ連に早く参戦しろといっていたのですが、次第に戦後の冷戦構造が見えてくると、日本はそっくり自陣に組み込みたい。幸い分割でなく、実質的には単独占領になりましたが、裏返せば、形式的には「連合軍」の共同占領ですからね。」
 ○マッカーサーも「連合国軍」の司令長官ですね。
 「ということで、日本の将来を決める権限は「連合国」にあるわけです。」
 ○本来の筋からいえば、マッカーサー占領軍は、日本軍の武装解除と民生安定をはかって、あとは、連合国の対日理事会や極東委員会に引き渡せばよいわけですね。そこが日本をどうするかを決める。
 「いや、占領軍が当面統治することは、別に「筋ちがい」ではありません。二度と再び日本が連合国の脅威とならないように国家システムを作り替えることは、占領目的の遂行に含まれますからね。
 ○確かにGHQは、進駐後ただちに、民政局を通して、次々と「民主化」の手をうちますね。
 「そうです。当時ホイットニー准将の民政局は、すごいスタッフを抱えていましたからね。」
 ○いわゆるニューディーラーとかですか。
 「でも、彼らのアイディアがどんどん実施されていったのは、日本の官僚と官僚システムをそのまま使って、間接統治の形をとったからでした。」
 ○日本側からいえば、一部の者が公職追放されたことを除けば、戦中からの権力構造が基本的に温存されたことになりますね。
 「彼らにとっては、そのような権力構造というのが「国体」ですからね。「国体」は維持されたと思ったでしょうね。だから、政府をあげてGHQの間接統治を請け負う機関として働くというか、次々と出される「改革」指令を施策化する機関となって、「国体」が戦後も有効なシステムだと証明しよう、と。暗黙のうちに、まあそういうことになりますね。」
 ○日本の戦後は、GHQと国体のなれあいで始まった、というわけですね。
 「そこまでいうのはどうかと思いますが(笑)。」
 ○そこで憲法に戻りますが、とおかく日本側は、国体が護持されたのだから憲法もこのままでゆける、と思っていたのでしょうね。