白洲次郎という人(16)

 (読み返すまでもなく、いい加減なことを書いています。ミスは登場人物のせいにできるよう、こちらもフィクションにフィクションで対抗しているわけですが(^o^)、余計面倒で早くやめたい(^_^;))
 「とにかく甘いのです。一番典型的なのは近衛公でしょうね。自分は軍部に反対した平和主義者であり、マッカーサー将軍にもそのことを認めてもらえるだろう、と思っていたのじゃないでしょうか。
 10月に入って、将軍は近衛公に、改憲を指示します。公爵は当時国務大臣だったからです。でもすぐに内閣が替わりますから、将軍は新内閣の松本大臣に、改めて指示をし直します。ところが近衛公は、佐々木博士に委嘱して作業をそのまま続けるのですね。
 ノー天気な勘違いをしたのでしょう。戦後改革の担い手として他ならぬ自分が選ばれ、だから改憲という最重要問題が自分に託されたのだとね。どうもそう思っていたふしがあります。ともかく、松本大臣の下での作業と、内大臣府御用掛に移った近衛公の下での作業が並行状態になるのです。それを知った私たち、いやGHQは、憲法改正に関する指示は近衛個人に対してではなく、日本政府に対して行ったものだという声明を発表しますが、それでも近衛らは作業を続けて、案を天皇に提出します。
 白洲が、近衛の方の佐々木博士に、作業の進捗を「督促」したのはいつか知りませんが、内閣はすぐ替わりましたから、「督促」というなら平行作業の時期でしょう。「筋」が通らない行動ですね。GHQの指示は政府に対するものだという当然の「プリンシプル」からすれば、作業中止を進言するのが「筋」でしょう。
 まあ、白洲という人は、とにかく貴族好きですからね。戦時中から、公爵や宮中にも接近していたということですし。近衛側に、より「国体護持」的な案を期待したのでしょう。
 ご承知のように、白洲のボスである吉田も、大変な尊皇派でしたね。「臣茂」という自称は有名ですが、後に、GHQが廃学させた皇學館大學を再興して自ら総長になります。「皇国ノ道義」を建学の精神とする大学に、引退後のエネルギーを注いだのですから、相当なものです。近衛公も吉田も、<反共>と<尊皇>は筋金入りですね。白洲はその吉田の子分ですから、「プリンシプル」や「筋」を無視して、宮中と近衛の方の憲法作業に期待して督促したのだろうと、私は思いますよ。
 プリンシプルを守った男? 筋を通した男? ま、笑っておきましょう。(笑)」