白洲次郎という人(18)

  *W=「マッカーサーを叱った男」 −−− 昭和天皇からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に「その辺にでも置いてくれ」とプレゼントがぞんざいに扱われたために激怒して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせた。マッカーサーは当時、神と崇められるに等しい存在だったが次郎に申し訳ないと謝り、ちゃんとテーブルを用意させた。」
 「けっ。こんな話に乗せられるたあ、あきれて物もいえねえやな。だいたい、この話あ、誰がどこでいってるんだい。出典がねえじゃねえか。そりゃそうだ。どうせ本人がいったんだろうよ。俺はそうに違いねえと睨んでるぜ。
 大体だ。いやしくも天皇さんがだ。新嘗祭だとか神嘗祭の御供物を下賜されるってえのなら分かるが、耶蘇の祭に「プレゼント」なんてえものをすると思うかい。相手がマッカーサーアメリカだっていったって、内大臣府か宮内庁か知らねえが超頭の固い御側役人が、そんなことを思いつくわけねえじゃねえか。
 それにな。万々が一、天皇さんが贈り物をするとすれば、どうなる。天皇さんの御名代として、皇族さんとか侍従長とかが、もっていくのが筋じゃねえか。もしも終戦連絡所だかが仲立ちするとしてもだ。長官がいるだろうが。「仮にも天皇陛下からの贈り物を、長官をさしおいて、(参与だか次長だかの)自分に持ってゆかせるとは何事か!」と怒鳴りつけたってえのなら分かるがね。え?白洲は、天皇の名代だったのじゃなく、単なる通訳として同席していただけだったのじゃねえかって? それなら、「プレゼントを届けた時に」とか「次郎に謝った」とかはいわねえだろうが。
 この話が全くの作り話じゃねえとすればだがな。大体俺は、この話のもとは、吉田か白洲の思い付きだろうと踏んでるんでい。これが45年だったとすれば、近衛さんが戦犯に問われて自殺したばっかりだろうが。ブルっちまうのは、おめえ、無理ねえやな。それでここはひとつ、よくいえば懐柔だ悪くいえば諂いだな、クリスマスにかこつけて天皇さんから贈り物をしたらどうかと、賢き辺りにもちかけた。ところが当然、耶蘇の祭に「プレゼント」するなんて、んなこたあできねえという返事だ。まあしかし、公的な贈り物としてではないなら、「当方は黙認するので、そちらでよしなに」、てなことになったんじゃねえかい。で、私的な贈り物として、白洲がマッカーサーの執務室へもっていったてえ寸法だ。どうでい。図星だろうが。
 白洲てえのは、虎の威を借る何とやら。いつも何かを背負って尊大になりやがるてえ、太え野郎だ。ところが、マッカーサーに通用する虎なんかはいやしねえやな。といういわけで、こん時や、まーせいぜい、「畏れ多くも陛下からお預かりしたものを、床に置くわけにはゆきません。置く場所がなくご迷惑なら持ち帰りますが・・」、てなことを丁重英語でいったんじゃねえか。ところがだ。日本人で見ていた者がいなくて幸い。てめえでいった丁重英語を、あとから自分で、日本語にする時は、「激怒して怒鳴りつけてやった」とかいうことになったってえ寸法に違いねえ。。白洲ならやりそうなこったい。「怒鳴りつけてやったら、慌てて謝った」とか、テーブルを「用意させてやった」とかいうのも、そうせその口だろうと俺は踏んでるぜ。
 第一おめえ、笑わすじゃねえか。クリスマスのプレゼントてえのは、ありゃあサンタクロースの爺さんがもって来るもんだろうが。ええ? だから西洋さんは、父親が買って来たものであろうと金持ちの大叔母さんから届いたものであろうと、クリスマスツリーの下に置くんじゃねえか? な? 映画でもTVドラマでもツリーのそばの床に置いてあるシーンを見たことがあるだろうが。マッカーサーの執務室にも、小さいながらクリスマスツリーが飾ってあったんだろうよ。だからおめえ、「プレゼントならそこに」、といわれた。ところが白洲は、「ぞんざいに扱われた」と怒ったてんだから、勘違いのトン頓痴気じゃねえか。親類の家の法事ん時にお供えを持ってったら、仏壇の前の畳の上に置いた。それを見て、「この野郎。仮にも本家の旦那のお供えを畳の上に置くとは何事か。床の間に置け!」と怒鳴りつけたようなもんじゃねえか。物知らずにも程があるね。
 マッカーサーの方は、呆れけえっったろうよ。こりゃマトモに相手をするのも馬鹿らしいってんで、軽く「sorry」とか何とかいって、机を持って来させたんだろうよ。帰った後で、「それにしても五月蠅い勘違い野郎だなあ」、と笑われたんじゃねえかい。俺はそう踏んでるね。
 とにかくだ、こんなことで、「マッカーサーを叱った男」などと持ち上げるって了見が、俺には全く分からねえ。頓痴気野郎の呆れた言いがかりを、マッカーサーが軽くいなしただけのことじゃねえか。全く、呆れてものもいえねえやな。」