白洲次郎という人(19)

 「それにしても、もう終わりにしたいのですが。呆れた長さになりました。」
 「ちょっと待ってくれ。終わるのはいいが、最後にいわせてもらいたいことがある。「次郎は〜当時の〜日本人がとった従順過ぎる姿勢とは一線を画し」ってとこだ。
 正直いえば、白洲なんていう小物のことなんかはどうでもいいんだ。実際大した奴じゃなかったらしいじゃないか。「尊大なだけのラスプーチン」ってのがいい所だろう。しかしな。そういう奴を持ち上げるのは知ったことではないが、引き合いに出すにも事かいて、「日本中が占領軍に対して卑屈であった時代」とか、「日本人は従順すぎた」っていうのはどういう了見だ。それについて、どうしても一言、最後にいいたい。
 大体、「従順過ぎた日本人」ってのは、誰のことだ。そんな奴は見たことも聞いたこともないぞ。大体、あの時代というのは、何に対してでも従順過ぎる人間なんてのは、生きてゆくことさえできなかった時代だ。そういえば、法の定めに従って、闇の物資に手を出さずに餓死した裁判官がいたがな。けど彼も、ただ従順過ぎたのじゃない。むしろ頑なな遵法で法の矛盾に抗議したのじゃないか。
 日本人は「卑屈であった」? 「従順過ぎた」? 「マッカーサーは当時、神と崇められるに等しい存在だった」? 聞いたような台詞ぬかすじゃないか。馬鹿いっちゃあいかん。何が神だ。何が崇められる存在だ。当時の人間は誰でも知ってるが、マッカーサーなんて、庶民はみんな「ヘソ」と呼んでいたんだ。分かるか? 「ヘソ」だ、臍。臍が神サンか? 何?分からん? そんなことも分からんで、「当時の日本人は従順過ぎた」なんて、見た来たような嘘をほざくな。ヘソってのはな、「チンの上」ってことだ。マッカーサーはチンの上だヘソだってな。庶民はみんなそういってたんだ。覚えておけ。
 ま、しかし、庶民てえのは単純じゃないからな。「従順過ぎる」が嘘のように、「反抗一点張り」てわけでも勿論ない。天チャンといったりヘソといったりするのも、ある意味親愛感の表れでもあった。「先の殿様天皇さんで、いまの殿様アメリカ人」ってなもんだな。しかし、庶民はみんな殿様を「神と崇め」てたなんていうのは、庶民を知らない「上から目線」ってやつだ。例の「人間宣言」だって、大した問題にはならなかった。んなこたあ、当たり前のことだったんだ。神様が丸めた紙を覗いたりするか。」
 「でも、殿様を叱ったのは、白洲だけだったんでしょう。」
 「馬鹿やろう! ちょっとした口答え位で威張ることか。俺の親父はれっきとした日本の庶民だがな。毎日マッカーサーを怒鳴りつけていたぞ。「こらマッカーサー!」、「馬鹿野郎マッカーサー!」、ってな。」(上に上がって、20に続く)