異質性と多様性(6)孤高のプライド

 その前に、もうひとつ。
 無視無交渉の平和は、互いに相手を「人間」と、少なくとも自分と「同じ人間」と、見ないところから来ている。ところで、島民に比べて第三のロビンソンは、圧倒的にマイナーであるが、そのマイナー性は、「文明イギリス人」という孤高のプライドによって心理的に補償されもしうるだろう。ロビンソンは、幸い救助されてイギリスに戻った時、屈託なくその「無人島体験」を作家に語り、本を出版しもする。
 だが、立場が逆だったらどうだろうか。イングランドの海岸に、嵐で毀れた丸木船の破片が漂着し、しがみついていた裸の男が森に入り込む。文明イギリス人たちから無視し放置された彼もまた、身につけたサバイバル文化によって、孤立生活を送りながら、森の人としての孤高のプライドを保持し続けようとするだろう。
 そうはいっても、イギリス人の神は孤島にあってもロビンソンという「個人」を支えるだろうが、島の神々は遠く漂着した「孤立島人」を多分支えきれないだろう。文明人ロビンソンは島民を「獣」のような存在と見なす事が出来るだろうが、漂着した島民もまた、イギリス人を「獣」のように見ることができるだろうか。自分が獣のように「見られている」ことを意識するのでなくて。
 王と賎民は神に選ばれたマイノリティとして同類であり、それゆえしばしば通底している。しかし、王は、人々が眼を合わせないことで傷つかないだろうが、賤民は、人々が眼を合わせないことで傷つくだろう。
 しかし、これらのことは、ないことにして戻る。