非科学的である権利

 いわゆる怪奇現象の類というのは、しかし、確率の問題として処理できる、というか、大抵の人はそうしています。
 大体、宇宙人やUFOやその他様々なオカルトの「自称専門家」は、根本的な問題点を抱えています。つまり彼らは、「そんな非科学的なことを」とバカにされると、「いや科学は万能じゃないすよ。世の中には科学で説明できないことがあるんです」と主張するのですが、ところがまた、話したとたん闇雲に「えホントに?こわ〜い」、などといわれても、それはまたそれでバカにされたように感じ、「いやこれは怪談のようなオハナシではありません。ちゃんと科学的な証拠があるんですよ」、と、どこかの「科学者」の証言やら証拠写真やらを出すのです。まあそんな中途半端さがまた嘘くさく、「似非科学」などといわれて「と学会」のネタになったりするわけですが。
 けれども、そういう人々も、日常生活では、案外というか当然というか、まるで常識人として、常識的な日常科学に従って行動しているに違いありません。彼らといえども、例えばどこかの道で車がエンストを起こした時には、「宇宙人が来た!」と何やら器具を空に向けて交信しようとしたり、「ここは心霊スポットだ!」と叫んで何やら呪文を称え出したり・・・はしないで、携帯を取り出して、JAFか何かに電話するでしょう。もちろんそれが賢明な行動というものです。
 世の中には不思議なことがゴマンとあり、もちろん科学は全てを解明し尽くしているわけではありません。しかしまた世の中には、一見不思議に見えて後から原因理由が分かることはもちろん、あえて不思議を作り出す手品や嘘や錯覚などなどもまたゴマンと存在します。宇宙人が今ここに来た確率よりは、バッテリーあがりなどの確率に賭ける方が正しいということを、オカルトの自称専門家も重々承知しているわけです。ただ彼らは、そのような「賢明な」確率判定をときどき忘れてしまって、一枚の写真を宇宙人や心霊スポットの証拠だと言い出したりする点で、やぱり「バカ」という他ないのですが。いや、バカなどといってはいけません。彼らは忘れるのでなく、店を開いた時には意図的に、常識的な確率判定をあえてしないで、金を儲けるのでしょう。
 そうでないというなら、一度、例えばエンストしたとき、路上で交信器具を出したり呪文を称えたりしてみればいいのです。多分警官が来るでしょうが、その代わり翌日の新聞には、「彼は自分のいっていることが正しいという信念をもっていた!」、という感歎記事がでるでしょう。
 (実は、今日可決された、臓器移植をめぐる法案のことを書くつもりで、タイトルをつけたのですが、こんな前振りから続けるのはどうかと思いますので、これはここでうち切ります。ただしタイトルは残しておきましょう。