殺人とダイヤと心臓と

 気が重いことは書きたくないなあ。というわけで、「非科学的である権利」というタイトルは出したものの、空から降った小魚などを道草に食っただけで、10日以上も更新がとまっていました。すみません。
 誰か書くか言うかするかな、と思っていたのですが、少し触れた意見はあっても、なかなか焦点が当たらないようです。問題になっている臓器移植法のことなのですが。
 急いで先ず書いておきますが、移植で救われる生命、移植でしか救われない1万数千もの生命が、移植できる日を待っていることを、私たちは知っています。「生きた」臓器を取り出すことがなくてもそれらの生命が助かる例えば代替人工臓器の技術が間に合わない限り、1万余りの生命は、「生きた心臓」の提供によってのみ救われるということが、もちろん待ったなしの前提として存在します。だが、この待ったなしの前提を盾に、拙速でも何でも早く決めてしまうべきだと、全てを押し流してしまうならば、この事態に対する人々の本当の理解を阻害し、結局、却って救われる生命を救えないという事態を招くことになるでしょう。
 さて、先日、冤罪事件が大きなニュースとなりました。奪われた年月はもはや取り返しもつきませんが、今回の再審は、針穴を通すほどの僥倖の結果でもあったわけで、それが叶わぬケースも多いでしょう。
 それにしても、と思われるかもしれません。それにしても、殺人です。「いや、いいですよ。私が落としたことにしてください。私が払いますよ。じゃこれ、3千円」、程度なら私もいうでしょうが、殺人なんですよ。一体何故、「私は人を殺しました」というようなことを、人は「自白」なんかしてしまうのでしょうか。
 それは突然、あなたを襲います。あなたは突然、日常の生活世界から拉致され、白い壁に囲まれた部屋に閉じこめられます。日頃の誰に相談することもできず、というよりあなたは動転して、頭が真っ白になっているでしょう。その時、ドアが開いて、全く見知らぬ人が入ってきます。それこそ、不安で孤立しているあなた、動転して頭が真っ白なあなたに話しかけようと入ってきた、プロ中のプロなのです。心理誘導のプロ。何度も場数を踏んできたプロ。相手を「落とす」自信にあふれたプロ。あなたにかける第一声から、あらかじめ計算された手順であなたを心理的に追いつめてゆくプロ。
 動転し孤立しているあなたに、プロは、「私こそ、あなたの味方ですよ」、というサインを送り続けます。ただし、「だから、下手ないいわけは私にはしないで下さい」、というサインを伴って。もちろんプロは、あなたの言葉を聞いてくれます。
 「なるほどなるほど。自転車でね、なるほどね。・・・でも、ちょっと待ってください。その日は雨じゃなかったですか」。
 「ほんとにそうですね。お気持ちはよく分かりますよ。私でもそう思いますもん。・・・でも、めったにない事だからこそ、自信をもって、本物のダイヤをつけたいじゃないですか」。
 (やっぱり継続にします。さしあたりここで。)