[改題]ダイヤとハ−ト(3) 

 「新聞は読まないので・・」。「あ、多いんですよ、今そういう方。いや、そういう方にこそ取ってもらいたいと思って、こうして回らせてもらってるんです。お願いしますよ〜」。「いえ、読まないっすよ」。「ですよね、誰でも新聞なんか全部は読みませんからね。でも、堅いのだけじゃなくて、マンガもあるし、スポーツ欄も、小説も、いろいろありますよ。あ、テレビ欄は見るでしょ」。「いえ、俺、そういうものも見ないので」。「ああ、やっぱりね〜。あなたも私と一緒ですね〜。ここだけの話ですけど、私も実は、新聞なんか読まないんですよ。世の中のことは、テレビとネットで十分ですからね今は。・・・でもね。学生さんでしょ」。「ええ、まあ」。「じゃ、就活、これからじゃないですか。面接で必ず聞かれるらしいですよ。新聞取ってますかってね。会社のエライ人は頭古いから、やっぱ新聞も見ないのかって思われると不利みたいですよ。だから、ひとつ。読まなくていいですから」。「でも、読まないのに3千円以上も出せないっすよ」。「んなこといわないで。助けると思って、取ってくださいよ〜。どうしてもダメなら、1ヶ月だけで解約してもらってもいいですから。これ、ホラ、8月というところだけマルしておきますから。それ以後はそれ以後ということで、とりあえず来月、ね」。
 勧誘のニイちゃんは、半プロで手強いですが、それでも、何といってもここは自分の家の玄関先ですから、こちらにもまだ余裕があります。それに、ま、結局押し切られて1ヶ月取ることになっても、大したことじゃないですしね。
 でももし、自分の家の玄関ではなかったら。隔離された白壁の小部屋だったら、どうでしょうか。
 その上、相手がまた、勧誘のニイちゃんなんかとは段違いのプロだったら。心理誘導のテクニックを専門的に学んでこの道に入り、研鑽を積み、この日のためにシミュレーションを重ねてきたプロ、これまで何度も相手を「落として」来た百戦錬磨のプロ中のプロ、だったらどうでしょうか。
 あなたは、白壁の部屋で気が動転して立ちすくんでいます。そこにプロが入ってきます。何の心構えもなく、心細く不安に震え、それでなくでも誰かにすがりたい気持ちになっているあなたに、百戦錬磨の「落とし」のプロが声をかけます。もちろんプロは、勧誘のニイちゃんのような強引なコジツケや押しつけなどは全くしません。じっくりとあなたの言葉を聞いてくれ、ゆっくりとあなたに話しかけます。
 「よくよく考えてくだだい」。プロは、諄々と、論理的に、情を込めて、時に強く時にやさしく、あなたに説明し、あなたを誘導してゆきます。「それは分かりますけど・・」「でしょう。だから・・・」「でも、それは・・」「いえ、だから・・・」「それは分かりますけど・・」「でしょう。だから・・・」「でも、それは・・」「だから・・・・」「・・・・・」「・・・ですよね」。
 ・・・こうしてあなたは、次第に自分が何をしたいのか何をしたのか、何を求めているのか何がほしいのかすら分からなくなり、やがてもう自分が決めるのか決めさせられるのかも分からなくなり、そんなこともどうでもよくなって、そして呟くことでしょう、きっと。「・・・はい」「あなたが殺したと認めるんですね」「・・・はい」「お買上の契約をしてくださるんですね」「・・・はい」。
 それでも、なおこれは、最後の最後ではありません。少なくとも、一縷の望みは残っています。
 自分を取り戻したあなたは、公判で、自白を覆す機会が与えられますし、あるいはまた、クーリングオフの手続きをする機会も残っています。自白したとたんに処刑されたり、サインしたとたんに代金が引き落とされたりするわけではありません。
 もしも、そのような最後の命綱もなく、「はい」といったとたんに、もう決して戻れない流れに乗って、ただ流されてゆくだけだとしたら・・・。