貧乏人が金持ちに車を買ってやる時代

 光光と実にもって五月蠅いNTTには比べようもないが、車ディーラーからのダイレクトメールや電話もそれなりにある。
 私は、洗車など一度もしたことがないし、多少こすっても凹んでも気にせず乗っているので、見てくれは芳しくないが、しかし乗り物としてはまだまだ何ら問題はない。
 身に付いた文化の下では、住み伝えた家や使い込んだ什器や手慣れた道具などなどは決して軽くは見られない。昨今ようやく着古して傷のあるジーンズを格好よく着こなしたりできるようになったのも、かつて「洋装」が舶来文化であった時代から1世紀ほどもかかって、ようやく私たちが洋服を「身につけた」ということだろう。ところが、新品のジーンズなどはむしろ格好悪いのに、同じカジュアルに使うモノでも、車だけはピカピカ以外は格好悪い。自動車文化は、まだ舶来文化の域に留まっているからでもあろうか。知られているように、使い込んだ道具自慢をする趣味人は少なくないが、車については、「いやあ、この傷は、去年箱根の坂を下っている時に・・」などと自慢する人はいない。・・・というのは、勝手な屁理屈である。私の車が傷だらけでピカピカでないのは、ただただ私の性格のせいであるm(_ _)m。
 それはともかく、確かにもはや新車ではないので、販売店の担当者から時折電話があるのはやむをえない。「最近、お車の調子はいかがですか」などと切り出すのだが、もちろん本音は、「展示会があります。今がお買い替えチャンスですよ」、ということである。例のエコカー減税政策。
 乗れる車を買い替えてエコだなどとはちゃんちゃらおかしいが、もちろん最初から「エコ」は単なる名目で、売れ行き不振の不況から車メーカーを救ってやろうというのが狙い。
 そんな魂胆に乗せられるほど私はお人好しではないので、買い替えたりはもちろんしないが、買い替えなければ無関係・・・というわけではない。
 大体、重くて大きい車つまり高級車ほど減税率が高くなっている。金持ちほど、より大きい恩恵を受けるのである。
 逆に、買わない買えない貧乏人は、一切恩恵をうけないだけでなく、税収減の片棒を担がされる。何のことはない。金持ちが車を買う代金の一部を、貧乏人が払ってやるようなものである。
 もっとも、この程度のことは、至るところで実施されつつある格差拡大策の中では、可愛いものであるが。そういえば今日立ち読みした本の中に、「郵政民営化は大がかりな振り込め詐欺だ」というタイトルがあった。確か、広瀬隆『資本主義崩壊の首謀者たち』(集英社文庫)だったと思う。(→これ(立ち読みしないで買えという声あり(^o^)。すみませんいずれ買います。今買うと読んでしまうので。)