和解の演出

 オバマ氏も、支持率急落で苦労しているらしいですね。
 白人警官による黒人の誤認逮捕について人種差別にからめて発言したところ、警官の強い反撥にあい、そこでオバマ氏は、批判したつもりではなかったと釈明し、逮捕した警官と逮捕された黒人とを呼んで、一杯飲みながら「和解」したということです。
 現在のアメリカには、建前としては人種差別はないことになっていますが、もちろん実際には、そんなことは決してありません。いわゆる「政治的解放」と「人間的解放」の間には、<深くて暗い河>があるわけです。
 差別の問題には、いつも、いわゆる「寝た子を起こす」というハナシが出ます。差別をなくすには、差別を指摘し指弾し、時には強く抗議することが重要であり、それがなければ、「政治的平等」の裏側に張り付いた「人間的差別」は、隠されたまま根強く残ってゆきます。
 けれども一方、そのような指弾や抗議は、差別する側とされる側の間にある対立を顕在化させることでもあるので、むしろ差別や対立から融和へと歩みを進めるためには、殊更な指弾や抗議は控え、忘却の彼方に静かに着地することを待つべきだ、という意見もあるでしょう。少なくともオバマ氏は、その意味の「和解」を演出したわけです。
 難しいのは分かりますが、しかし、「警官に人種差別は全くない」という方向での「和解」だとすれば、それは、ウソの上に立つ政治判断という他ありません。個別的な今回の件はともかく、もう少し粘ってもよかったのじゃないかと、人ごとながら思うのですが、支持率の計算上、「和解」演出となったのでしょう。
 まあ、ウソでも何でも支持率計算ができずに、自らの差別意識を隠せない「正直な」党首は、実に78という週刊誌予想までたたき出しているわけですが。