農耕民族

 ようやく、アイヌの人々を先住民族として認める更なる一歩が踏み出されたようです。もちろんこれは「アイヌ問題」ではなく、蹂躙し抹殺し同化しようとしてきた「シャモ問題」なのですが。
 ところで、空を覆う近代の黒煙に疲れた人々が、青空の下に帰ろうとする時、ウサギ追う山は里山であり、小鮒釣る川には水車が回っています。近代人にとって、郷愁の自然とは「平和」で豊かな弥生時代以来の農耕世界であって、それ以前には戻りません。実際には、土地を囲い込み自然相を破壊し地味を収奪する農耕と共に、権力支配も奴隷もそして「戦争」もまた始まったのですが。
 こうして、田園風景に帰ってゆく農耕民の末裔の原意識にとっては、狩猟採集や遊牧の民は、開拓農民を襲う原始粗暴な「インディアン」であったり、まつらわぬ刺青の「土人」であったりするわけです。実に彼らこそが「奪われた民」だったのですが。