ネットは街頭

 もうやめますが、しばらく連日更新をしてみました。
 連日更新というと、どうしても身辺日記と相性がよいのですが、ブログなど書きながらいうのも何ですが、私はネット人間ではないらしく、そこのところがどうもよく分かりません。
 昔、小説家という職業があって、大抵はいわゆる私小説という身辺記を、結構赤裸々に書いたわけです。もちろん、身辺の些事を人様に語るなどというのは恥ずかしい事であり、それを敢えてするのですから、私小説家というのは恥ずべき人々でした。しかしまた、だからこそ、うまく書けた場合には、その業界のファンから大いに賞賛されもし、また金も稼げたわけです。つまり自己暴露のプロですね。それはちょうど、若い女性にとって人様の前で裸になるのは大変恥ずかしい事であり、それを敢えてするのは恥ずべき行為だとされながら、だからこそ、敢えてそうするプロの女性が、その業界のファンから賞賛され金も稼げる、ということと同じです。
 しかし、普通ネットに書いただけでは金にはなりません。特定できないように隠した上でなら分かりますが、これほど個人情報に神経質な時代に、特定できるような身辺情報をタダで、どころかある種の大きな危険さえ背負いこみながら、ネットに公開するというのは、どういうことなんですかねえ。などというのは私がネット人間でない証拠、というか時代遅れの証拠なんでしょう。確かにいまや、大学名実名入りの女子学生や会社名実名入りのOLなどの裸が、いくらでも雑誌に載る時代です。彼女たちが金をもらっているかどうは別にして、多分彼女たちは、「大きな恥を金で売る」というような感覚では全くないのでしょう。私などは、何が面白くてそんな恥ずかしいことをするのか、と思うのですが、そう問う事自体が、時代おくれなのであって、何が面白くてといわれても、おそらく、身辺情報や裸をネットやメディアという「街頭」で公開すること自体が、いまや「面白い」ことなのでしょう。
 「昨日カレーを食べました」などと書いた札を首からかけて街頭を歩いたり、街頭で裸のポーズをとったりすることが「面白い」。もしかすると、それらは、意識するしないにかかわらず、個人的「出会い系サイト」なのかもしれません。
 多分、今の時代の人々は、それほど「希薄な」世界に生きているということなのでしょう。いや、自分を外すのは卑怯ですね。私も含めてということにしておきましょう。