まつろわぬ民

 「まつらふ」とか「まつろふ」とかいう言葉がありまして、「服ふ」とか「順ふ」と書くようですが、大体は、「しらしめす」「しろしめす」の対で使われ、つまり、とよあしはらみずほのくには、「あめのした すめらぎの しろしめすくに」であり、一木一草「はふむしも おおきみに まつらふくに」なのであります。
 こうして、われら民草は、やんごとなきご家族に代を重ねて心身障害を強いるような非人間的システムだと知りながら、畏れ多いことに未だに事態を放置し続け、そのことで安心をえているのであります。
 森繁氏の訃報と時を同じくして、在位20年ということで、改めてこの間の歴史が振り返られていますが、現システムを前提としていえば、私もまた、ご夫妻が、これ以上ないほどご立派に重責を果たしてこられたことを認めるに吝かではありません。ただ、それだけ余計に、システムの残酷さに思いを致さざるをえず、つい森繁氏推挙というような、不敬極まりない暴論(↓↓)を記したりしたのでありました。
 先日、NHKラジオで、誰だったのでしょうか、この問題のしかるべき識者なのでしょうか、あるいは解説員なのでしょうか、インタビューに応えて、面白いいい方をしておられました。
 「国民にとって、天皇は、どういう存在なのでしょうか」。
 「それは千差万別ですね。中には強く反対する人や、また無関心の人もいます。しかしですね。そういう人を除けば、国民は、やはり天皇に対して、敬愛と、それに親密感を感じているのじゃないでしょうか。私はそう思います」。
 そりゃそうでしょうよ。ラーメンが嫌いな人や無関心の人を除けば、みんなラーメンが好きだ、と私も思います。ま、しかし、何となく、「別にいいじゃん」というあたりが、EXILEファンをはじめとして、いまのくにたみの多数意見であって、もちろんこれは、「まつらふ」ことの現在的変種なのであります。
 ということで、どうもいまなお、ひのもとは「あめのもと くさもきも はふむしも なべてすめらぎの しろしめすくに」であるようです。
 天皇のおことばは、いみじくも「歴史を忘れないよう」ということでした。あれらの人々とその国土をかつて併合して蹂躙し収奪し大震災に際して虐殺した歴史をもつ赤子くにたみは、まさにいま歴史を忘れているのでありましょうか。おそらくそれは、肯であり否ではないでしょうか。いうならば、あれらの人々を「はふむし」と扱った歴史は体感のうちに保持しつつ、そのような苛酷な歴史を強いて背負わせたのは誰なのかということについてだけを忘れているのでありましょう。
 それにしても、もう何十年もこの国土で共に働き共に暮らしているのです。もちろん、税金も払い法にも従い、子を産み育て孫をもち、今後も永住するのです。ところが、そんな人々に、住んでいる地域の代表を選ぶ権利すら与えないという。ただただ、あのシンボルに託される「国籍」という符丁ゆえにです。
 日頃、かなり進歩的とか民主的とかいわれているような方々も、この問題では急に頑なになるようで、やんごとなきシステムには日頃無関心だとかいっていながら廃止?と聞かれると急に頑なになることと、それは多分、心情的に重なっているのでしょう。
 例えば、ハワイ人であってもモンゴル人であったとしても、神の社にすまいを奉納して帰化しまつろうならば、あめのもとすめらぎのしろしめすくにたみと認められます。だが、まつろはぬものどもは、永年同じこの地に住み人々と交わりたつきしながら、「はふむし」の扱いでよしとされ続けるのでありましょうか。