安楽椅子の知的道楽

 まだご存命だったらしいレヴィ=ストロース氏も亡くなられたとのことです。日本では森繁氏の方が大きい扱いでしたが、もちろん世界的にははるかに高名な方ですので、新聞に川田順三氏の追悼談が出ていました。
 川田氏は、殊の外「先生」に信頼された高弟であられたようで、だから「先生」に対するを哀惜追悼の念もよほど大きいのでしょう。何度も「先生」と呼びかけておられました。「先生の控えめなお人柄」から考えると、事あげがためらわれますが、何でも、先生は、「先生がお好きだったブルゴーニュの広大な別荘の敷地」にお住まいだったそうで、典型的なブルジョアですね。昔、ブルジョアイデオロギーなどといって総スカンを食らった人もいたようですが、何かの間違いだったのでしょうか。その上、「アカデミー・フランセーズの会員」で、「先生ほどの会員は、国葬に値した」というのですから、自他共に許す典型的な西欧文明的知性の最高峰です。西欧的知性の批判者という評判だったのようでしたが、何かの間違いだったのでしょうか。とにかく、とびきり偉い人だったことは間違いありません。陰ながらご冥福をお祈り致します。
 大変ご高齢だったようですから、おそらく晩年は、ブルゴーニュの広大な別荘で、安楽椅子に座って回想的思索にふけっておられたのでもありましょう。もちろん、偉大な先生ですから、自宅で「寝ながら」のエピゴーネンなどとは違って、若い頃はジャングルに分け入りテントで寝ながら、現地調査を重ねていたのでした。
 『悲しき熱帯』(邦訳題)というのが、私が読んだ最初のものですが、これには感銘を受けました。悲しき未開文化を破壊する他ない悲しき西洋文明人類学。しかし私は、この自省的悲哀文に心うたれながらも、これはやはり、現地のテントではなく、文明の別荘に帰ってから、安楽椅子で書かれた文章だなあ、と感じていました。『野生の思考』という大著、 あれも基本は同じですね。安楽椅子の高尚な道楽。もちろん、「野生」という語が「文明」という語より蔑称ではないように、道楽という語も研究という語より蔑称ではありませんのでお間違いなく。
 「今世紀最大」の知性だとか「国葬に値する」とかいう個人評価は、まさに西洋近代知のやり口で恐縮ですが、もちろんブルゴーニュの賢人が、ソシュール以降の流れの中で、大きな役割を果たした方々の一人であることは誰にも否定できません。確かに20世紀のある時期、人文系だけでなく数学までをも含んだいろんな分野に関連する大きな道楽が流行して、それなりに皆面白がったわけです。当時は、飲み屋のカウンターにたむろするおじさんたちまでもが、「竜虎、鯉鯨それに燕と来るのに唯一「軍」を名乗り「巨人」てんだからやっぱりバカモンだね」といってるかと思えば、「いやだからリーグを解体しなくちゃ」「虎も逃げてしまえや」とか、馬鹿なくだを巻いたりしていましたね。もっともそれも今は昔、野球中継そのものの視聴率が下がってしまいました。何のこっちゃ。(続く?かも)