負けてはやっぱりだめですか

 (承前。いつもの悪癖で長々と書いているうちに、同じような意見も出てきたようです。これでやめます(^o^))
 とにかく、(一部)ノーベル賞先生方らの基本口調は、一貫して<競争>であり<勝ち負け>です。「誇りを持って未来の国際社会で日本が生きていく」には、「科学技術によって世界をリードしようという」競争に勝たねばならない。科学の勝ちで技術が勝ち、技術の勝ちで産業が勝ち、産業の勝ちで国富の連勝街道を走り続けるためにです。自殺者が毎年3万人でも、ノーベル賞受賞者をトップとする「産業開発を生み出す研究者」をリーダーに「科学技術によって世界をリード」し、次々と金を稼げる産業を開発して行く国。それが、「日本が生きる唯一の道」のようです。 
 確かに、先生方のおかげなんでしょう。昨夜睡眠薬代わりに読んだ小説でも、町の探偵が、「パンとベーコンと卵、それに珈琲とミルクという簡単な朝食を食べて」出掛けましたが、これを「簡単な朝食」と表現できる国は、それほど多くはないでしょう。しかし、マラソン競走じゃないのですからね。勝てばよいというだけのものではありません。先生方が主張されるように、日本をはじめとする強国が科学の産業の国富のレースに勝ち続けるということは、これまで負けを押しつけられて来た国の人々が、今後もずっと負け続け、餓死者を出し続けることを意味します。「リード」し続けようなんて、「血相を変えて」大声でいえることじゃないと思うのですが。ノーベル賞受賞者としての品格はどうなんでしょうか。
 品格というのは、一時期流行語になって品格のない使われ方をした語ですが、それをあえて使ったにはわけがあります。日本学術会議というのは、ノーベル賞クラスの先生方からみれば、レベルの低い会議なのかもしれませんが、一応、公式に「日本を代表する科学技術機関」と認められたものです。そこが2005年4月に、「日本の科学技術政策の要諦」という声明を出して、こんなことをいっています。勝手な一部要約ですが。
 「南北の格差は様々な側面で拡大している。いわゆる絶対的貧困層〜は全世界で約12.5億人と言われている」。いまや、この問題の解決が、「地球規模の主要課題」のひとつになっている。確かに、「20世紀の日本は〜目覚しい経済成長をとげ、経済大国として認知されるに至った。」しかし、「日本は、グローバル時代の21世紀にあっては、より平和な国際社会の実現と、地球規模の課題解決に積極的に貢献する国としてしか存続できないはずである。」「日本よりも経済規模は小さくとも、様々な面で世界の尊敬と注目を集める国はアジアにもヨーロッパにも少なからず存在する」。むしろ日本は、「製造業と商人国家という過去50年に培ったイメージを払拭し、21世紀にふさわしい「品格ある国家」を目指すことが重要である。」
 きれいごとの建前にすぎない、といわれるかもしれません。しかし、「血相を変えて」、科学研究は自国の「産業開発」のためにあるんだ、自分たちに大金を出さないと「国が亡びる」ぞ、といわんばかりの口調は、やっぱりちょっと品格を疑われるのじゃないでしょうか。研究競争に勝ち抜いてきた体質なんでしょうかねえ。