時代(承前でも可)

 考えてみれば、しかし、時代の流れでもあるのでしょう。
 いまなお日本映画史のトップにランクされる(ex.2000年キネマ旬報「女優原節子」は、小津映画などで今も見ることができますが、しかし、知られているように、素顔の「原節子」は、半世紀の間、自らを世間から完全にシャットアウトしたままです。そのために彼女は、想像もつかないエネルギーを費やして来たことでしょう。
 ついでに脱線しますが、「サユリスト」といっても、セレブ吉永小百合の方は、優雅な姿で今なおCMに出たりしていますが、もうひとり同じ日活女優で「サユリスト」の熱狂的な支持を集めていた一条さゆりの最後は、釜が崎でした。セレブのような優雅な隠れ方のできない彼女がとったのは、自らの生涯を徹底的な虚言の中に隠すことだったといわれています。
 山口百恵がゴミ出しをしている写真が週刊誌に出たりする時代、グレタ・ガルボ原節子のように、伝説の中にだけ生き続けることは、もはや不可能となっています。もちろん女優だけではありません。あらゆるジャンルで、人々はいまや、作品とという<嘘>だけをおとなしく消費していてはくれません。ちょっとした交通事故があったとたんに、目撃情報がネットで拡がる間もなく、浮気相手がぞろぞろメディアに「告白」したりする時代です。
 という時代、例えばそのような事態が起こった時直ちに誤った噂を打ち消すためにも、というような理由によるのではまさかないでしょうが、日頃、ブログやTwitterで、いっそ素を見せておこうという人々も少なくありません。人々は、そして、そんなものは読みたくない、などとはいわないのです。「「大発見! コンビニでコピーできるよ!」だって。カワイイ!」、とか何とか。