首を絞める年

 新年の新聞は、暗い時代がなお続くだろうという予測記事ばかりです。昨年来、「チェンジ」や「交替」という掛け声だけはあるのですが、「何とかしなくては」というその「何とか」が見えません。
 古くて恐縮ですが1918年の「新しき村」以来、「何とかしなくては」と開かれる村はいずれも、他人から見れば滑稽なものでも、ともかく何らかのカウンターデザインを掲げての開村でしたが、例えば年越し派遣村は、緊急避難的に開村され、そのまま閉村される他ありません。
 カウンターデザインといえば、かつて最大の供給源だった社会主義は、とうの昔にイメージを結ばなくなっています。とはいえ、単純な「退場」という話ではありません。ケインズ革命以来の世界史を通して、資本主義と社会主義は互いに浸透しあい、ついに得体の知れない現実世界をもたらしてしまいました。これからの時代をリードするといわれる大国は、頭の古い人々にとっては丸い三角のような「社会主義市場経済」を標榜しています。純正社会主義?小国である北朝鮮では、先日のデノミ強行に見られるように、当然経済は政府のコントロール下にあるわけですが、先進資本主義国を誇るこちらの人々もまた、経済を何とかしてほしいという声を、専ら「政府」に対して向けます。市場は政府がコントロールしうる、すべきだと、こちらでも万人が思っているのです。
 とはいうものの、同時に人々は、政府にもさして打つ手はないだろうということを知ってもいて、ほとんど諦めの境地です。職なく金がない。できることは、生活を切りつめることでしかありません。ところが、それがいけない、といわれます。買うのを我慢したり安いものを買ったりすること、そのことが自分の首を絞めるのだ、というのです。
 「何とか」してほしいのですが何とかなりそうもない2010年です。