寒いわね

 とにかく更新します。どうでもよい内容で恐縮ですが。
 「寒いわね。」「寒いですね」。
 問題の「寒いですね」を英語にすると、多分、「It's cold.」としかいいようがないでしょう。応答ということで、「Yes」か「Ah」か知りませんが、何かを頭に付けましょうか。それはしかし、「It's cold」の構文上の要素ではありません。
 三上卓以来、「日本語に”主語”は不要」ということが定説になりつつありますが、なお抵抗している人もいます。ともかくしかし、この文は「it」のような主語なしで、もちろん文としては、これで完結しています。その代わりに、「ね」をはずすと、いささか「ぎこちなく」ならないか、という問題があるわけです。
 そこでもう一度、上記の対話を見てみましょう。前者の「寒いわね」はどうでしょうか。こちらも多分、英語にすると「It's cold.」としかいいようがないでしょう。「isn't it?」を付けるたとしても、内容的には同じです。けれども、日本語の方はどうでしょうか。
 ちなみに、日本語文では、例えば数情報は乏しいです(と、敢えて書いたのですが、「ぎこちない」でしょうか)。ともかく、「This is a pen.」ではペンは1本ですが、「これはペンです」は、本数が不明です。けれども、その代わり(?)日本語文には、英語文にはない情報が含まれています。
 例えば、「寒いわね」についていえば、応答文ではなく話しかけ文だろうということはおくとしても、この話し手は、1)女性であり、2)相手より目上の位置にある、ということが分かります。このような情報は、英文にはありません。
 そこで、「寒いわね」を受けた「寒いですね」の方ですが、この発語は、上司のような立場にある女性からかけられた声に、部下、目下として応答したものです。つまり「寒いですね」は、単に外気温について述べているのでもなければ、自分の身体感覚について述べているのでもありません。寒いという事実を述べると同時に、上司と部下という関係性、寒い場所に上司の女性と共存しているという状況性、の<受け入れ>を、改めて表現しています。
 「寒いわね。」「寒いですね。」
 もちろん英語でも、相手が「It's cold.」といった時に、ブスッと黙ったままいるのではなく「Yeah, it's cold.」とか何とか応答することで、二人の関係性とその場の状況性の<受け入れ>が表現されます。しかし、(私は英語は分かりませんが)主情報の「cold」が「it」を主語にした文に組みこまれた「It's cold.」では、やはり気温の事実が表現の中心になるのではないでしょうか。少なくとも、「It's」を欠くと「舌足らず」、あるいは文になりません。また例えば、「This is a pen.」の主情報は<This=pen>ですが、ここでは「a」という数指定が構文上不可欠であって、「This is pen.」はおそらく大変「ぎこちない」、というか誤文です。 
 一方、「寒いですね」では、「寒い」が主情報でありながら、いうならば関係性と状況性の受け入れを再確認する「ね」がないと、日常会話で使われる文として、少し「ぎこちない」。少なくとも辞書にもそうあるわけです。
 これ以上拡げるのはやめますが、このように見てくると、「寒いわね。」「寒いですね。」という談話では、「寒い」「寒い」という主情報の確認だけではなく、例えば女性上司が話しかけ部下が応答するという状況が、二人の間で再確認されています。どうも日本語では、「形容詞です」という事実陳述あるいは自らの感覚描写だけでは少し舌足らずで、相手との関係性を示す「ね」(など)がないと「ぎこちない」ことになる、ということなのでしょうか。 
 とはいえ、この程度のことから、日本語の特長などという話にゆくつもりは、全くありません。単なる思い付きで、新年早々恐縮ですが、新春放談というところで、忘れてください(^_^)。