「行くです」再記

 先日私は、新興「です」組の勢いを買ったのでした。もちろん、いい加減な与太話ではありますが。
 それにしても、「私は行くです」といういい方はどうでしょうか。もちろん、眉をひそめる方が圧倒的だと思われます。けれども、何だか颯爽とした風を感じないでしょうか。もっとも、私自身は使ったことはないのですが。
 ところで、大体この島国の住人たちは、一方で「言霊の幸ふ国」といいながら、自分たちの言葉に深刻なコンプレックスを感じているわけです。森有礼志賀直哉、つまり一国を代表する文部大臣や作家が、自国の言葉を廃止して他国語を採用しようなどという提案を真面目にしたのですから。森の時代には、相談を受けたアメリカの学者は彼をたしなめたのでしたが、志賀直哉が提案した時代には、アメリカは、少なくとも漢字は廃止することを勧告し、コンプレックス文部省もその方針でゆくことになったのでした。といっても即刻漢字廃止というわけにはゆきませんので、「当面は」最少限の文字だけ使うことにしよう、ということで、「当用」漢字が決められ、学校はもとより新聞でも、それ以外は原則使わないことが決まります。ただし、その後さすがに廃止論は廃止され、ご承知のように、「当用」ということばも「常用」ということばに替えられたのでした。つまり、いずれ廃止するが「当面は使用する漢字」から、難文字はできるだけ一般使用せずにこちらを「常用する漢字」に、です。
 漢字だけではありませんが、とにかく、日本語は、「ややこしい」「むつかしい」という声に取り憑かれています。理由のないコンプレックスの産物なのか、実際の言語特徴なのかは別として。
 いや、そういう問題を取り上げるつもりではありませんでした。「行くです」ですね。
 とにかく、そんなわけで、漢字だけではなく、「ややこしい、むつかしい」日本語そのものを「簡単に、やさしく」しよう、という提案も、何度かあったようです。もちろん、いわゆる「Basic English」というものもありますから、日本語の専売特許というわけではないのでしょうが。
 有名なもののひとつが、ゼンジー日本語、いや、満州生まれの「協和語」です。これは、「ある」を多用すること、ご承知の通りです。(ただし、ゼンジー北京さんの商売日本語が協和語起源のものであるというのは噂ですが、実際どうなのかは知りません)
  「これハンカチあるネ。タネも仕掛けもないあるヨ。はい、消えるあるネ。」 
 さて、協和語は昔の話ですが、1988年には、国立国語研究所というところから、「簡約日本語」というものが現れたのでした。面白いのは、これが「ます」を多用したことです。
  「北の風が強く吹きますと吹きますほど、旅行をします人は、上に着ますものを強く体につけました。」
 協和語や簡約日本語について、もっと考えてみたい気はしますが、今回は主題ではありません。なお、付記しておきますが、協和語も簡約日本語も、すこぶる評判が悪く、すぐに消えてしまったようですが、残念なことです。権威や規範より逸脱や猥雑の方が数倍面白いじゃないですか。ま、それはおいておいて、これまた強引な逸脱ですが、ここで、対抗馬として、もうひとつ「です」を出そうというわけです。
  「外は雪です。寒いです。でも私は行くです。」
 どうでしょうか。
 「消えるあるヨ」−「吹きますと吹きますほど」−「行くです
 いやもちろん、こんな冗談を、本格的な提言であった協和語や簡約日本語と、同列に置くは間違っています。それでも、こう並べてみると、「行くです」も、結構いい線行ってるじゃないですか。