こくさいこうけん

 おおよそ、グローバリズムなどということを、しきりにいうような人たちには、きをつけたほうがいいですグローバリズムというのは、つよくてわるい人たちが、じぶんたちのわるがとおるはんいを、せかいじゅうにひろげようとするための、きまりことばのようなものです。でも、ハイチでのおおじしんで、かくくにから、すくいやたすけのためにかけつける人たちのニュースを見たりすると、せかいのどんなところにいる人でも、こまったときには同じょうにたすけてもらえるようになることは、やはりいいことだと思うです
 ただ、そういうとまた、「だから、ハイチでは、じしんでこまっている人たちをたすけるですアフガニスタンでは、テロでこまっている人たちをたすけるです。同じ<こくさいこうけん>です。」というようなへりくつで、せんそうやさつじんまでも正しいとする人たちがいたりするです。こまったことです
 もちろん、「人のいのちをたすけることと、人をころすことはちがうです。せいはんたいです。」というのですが、するとまた、せんそうを正しいとする人たちは、「人をころそうというテロの人をころすのは、人のいのちをたすけることです。同じです。」というようなへりくつをかえしたりするです。こまったというより、けしからんことです
 まあ、せんそうと人ころしのためのふねに、うみのうえで<きゅうゆ>することは、きょうでおわりになったです。そのためにこれまでつかってきた、たいへんなおかねを、つかわないでよくなったのですから、これからは、ハイチもふくめて、ほんとにいのちをすくうための<こくさいこうけん>だけに、つかってほしいものです