単純ではない

 毎日更新と引き換えに、どうでもよい内容で申しわけありません。
 (承前)さて、そういえばもうひとつ、暴力的な<矯正方式>がありますね。奴隷を含む身分制ですが、もちろん時代的にはこちらの方が古くて、そのあとが市場矯正です。
 ともかく、そういうことで、みんな夢中でしたいことをして遊ぶ100人の村はもはや壊れているのですが、しかし見方を変えれば、人はそれぞれ「これをしたい」ということがあるというのは近代の神話であって、普通は絶対したいことも絶対したくないこともなく、大体のことはそれなりにやれるしやります。例えば火色見30年を誇る名人が、厳しい身分世界の隠亡だったりもするし、市場世界のプロジェクトX溶鉱炉現場にいたりもするでしょう。楽園ではなく矯正的に割り当てらた仕事にも拘わらず打ち込んだり誇りを感じたりしてしまう、そのようないい加減さこそ、人類の強みでもあれば、しかしそれこそが不幸のはじまりで、身分制や市場制がガレー船蟹工船に帰着することは、みなさま重々ご承知の通りです。
 さて、100人だけの村のように、みんなが付和雷同的にしたいことをして、貧しいながら仲良く暮らしている閉じた世界が、林檎を知って開かれると、不幸な<矯正>の歴史に入る、という話だったわけですが、何の話をしようとしていたかというと、北朝鮮のことで、いまや珍しい<矯正方式>の国です。
 昨日は、サッカーの東アジア選手権で、またも散々な結果だったのですが、スポーツ新聞に、こんなような表現がありました。「サッカーというのは、MFとFWのイメージが一致しないとダメ。MFがイメージしてボールを送ったところにトップが走り込む。またはFWがイメージして走り込んだところにロングパスが通る、というように。ところが昨日は、両者が全く噛み合っていなかった。まるでキャピタリズムマルキシズムのように」。昼食をとりながら読んでいて、笑ってしまいましたが、「水と油」じゃ月並みだし、「月とスッポン」は何のことやら分からないし、記者さんも考えたのでしょうが、読者諸氏には、分かってもらえたのでしょうか。
 で、スッポンではなく北朝鮮ですが、ご承知のように、昨秋、デノミの大鉈を振るいました。先進各国で市場経済至上主義による経済不振・格差拡大が大問題となっている今、「格差解消」を正面に掲げ、そのために何より「市場経済」を縮小しようとしたのですから、首領様の意図は、非常に明確です。明らかに、他国とは「まるでキャピタリズムマルキシズムのように」(いや比喩ではなくママでした(^o^))異なる<矯正方式>を、今一度はっきりとさせようという強い決意の現れです。で、厳しい交換上限を設けたデノミで、本来あってはならないのに成長してきていた富裕層が溜め込んだカネをただの紙キレにし、各地で自然発生し成長して格差拡大の温床となっていた市場をどんどん閉鎖して、拡がりつつあった社会格差を一挙に解消して本来の平等を実現しようとしたようです。あっぱれな意図といいたいところですが・・・・どうも思惑が大はずれ。実に大変な事態になっているようですね。(続)