3種類

 近代国家の一円的権力支配の確立は、常に標準「国語」の成立と支配に重ねられますが、もちろん日本語も同じです(井上ひさし『国語元年』)。以来当然、言語差別も権力構造に組み込まれますが、しかし、私はいい加減ですので、150年近い歴史に敗北したまま、例えばこのブログも共通語で書いています。いや、いい加減というより無責任で、共通語で書くことによって言語差別に加担もしているわけです。
 そのデンでいえば、何だかだいいながら、例えばウインドウズを使うこと自体がMS支配に加担し英語支配に加担していることになるわけで、歴史というのは怖ろしいものです。
 もっとも、共通日本語に比べれば英語支配はまだ完了していず、例えば国連の公用語も複数あるわけですが、ともかく、そういう歴史を踏まえて、何とか良心的に(?)対応しようとすると、「3」ということになるのでしょうか。