3種類

 さて、全ての人が、少数言語を含む地域母語を話し、国単位の共通語を話し、そして国際語を話す、というのが、一応の対応策として提唱される3種類言語方式というか何というか、とにかくそういういうものなんですが。
 ただし、一方には、インドのように、自分たちの地域語と州の公用語と国の公用語がそれぞれ異なるどころか複数の場合もあり、他方には、英語ひとつだけで、家族を含めて国内誰とでも話し、海外へ行っても大体通る、というような人もいます。というように不公平?なので、先に触れたユネスコ関係のコメントでは、
 「支配的な言語を話す人々に対し、もう一つの国語または地域語と、一つまたは二つの国際語を習得するよう促すべきです。」
といわれています。「支配的な言語」というのは明言されていませんが英語のことでしょう。同様に「国際語」というのも指定されていませんが、これはおそらく国連公用語でしょうね。ちなみに、日本語の使用人口は結構多いのですが、国連の公用語とはなっていません。
 つまり、同じ3種類方式といっても、インド人なんか4種類も5種類も習得しなければならないのだから、アメリカ人も英語1種類だけじゃズルい、と。いやズルいというわけではありませんが(^o^)、英語に加えて、「もう一つの国語または地域語と、一つまたは二つの国際語」を習得すべきだ、といわれています。例えば「もうひとつの国語」として日本語と、最低「もうひとつの国際語」としてスペイン語か何かやれ、と。
 繰り返しますが、国際連合の趣旨からして言語コミュニケーションのグローバル化はむしろ歓迎すべき事態でしょうが、しかしそれが、いわゆる英語帝国主義といわれるような事態を招き、その裏側で少数言語文化が衰退・消滅が進行中だということは、国連の掲げる多文化共生の趣旨からして憂慮すべき事態でです。ということで、グローバルコミュニケーションの促進と多様な少数言語コミュニティの保護というアクロバットと、さらに国際語の中で英語が「支配的言語」となっていることを追認したくないという配慮・・・まあ、そういうことから、世界中の人々は、アメリカ人も含めて、みなさん、ことばは3種類習得しましょう、ということになっているわけでしょうね。
 いろんなことを考え合わせて、不公平?のないように3種類に調整しているのは、何というか、ほほえましいというか苦しい努力というか、それは分かりますが、しかし、世界中の誰もが、3種類「習得するよう促」されるというのは、大変なことです。当然、世界中で語学格差が問題化するでしょう。
 といっても他に名案があるわけではないのですが。(続)