鯨やイルカは可哀想2

 山岳信仰の山であった富士山から信仰という和魂が抜かれて、ゴミを理由に世界遺産登録を拒否される観光山となってしまったことも、花街歓楽性サービス文化を担う女性であった芸妓から売買春という和魂が抜かれて、お座敷芸ができる白塗りコスチュームのコンパニオンになってしまったことも、歴史の必然であって嘆いても仕方ありません。ちなみに、そこにもグローバル化(実は西洋化)の歴史が対応しているわけで、「六根清浄」と登る信仰の山でなくなったからこそ富士山には短パンの米人観光客も気安く登れるのですし、旦那衆の売買春の匂いがなくなったからこそ舞妓さんは海外向け古都観光の宣伝に一役買うこともできるのです。
 さて、それでは、鯨文化についても、そこから抜かれた和魂があるのでしょうか。
 以下、いつものようにいい加減な話になりますので、ご承知頂きたいのですが、鯨文化から抜かれてしまった和魂は「魚」にある、というのはどうでしょうか。
 ご承知のようにウサギが1羽2羽と数えられるのは、かつてウサギが鳥だと見なされたからですが、同じく、猪は昔「山鯨」と呼ばれたものでした。では、なぜ、ウサギや猪は、鳥や鯨と見なされたのでしょうか。それは、江戸時代まで、ウサギや猪のような獣を食べることは、というより食べるために殺すことは、殺生戒を犯すこととされつつ、他方、鳥や鯨を殺して食べることはOKだったからに他なりません。(もっとも実際には、少なくとも幕末には「ももんじ屋」という獣肉屋もあったようですが、それでも薬効のためだという理屈で食べたのでした。)
 では何故、哺乳動物である獣の殺生は禁止されていたのに、鯨は殺して食べてもよかったのでしょうか。それは、鯨が獣ではなく、大きな、「いさな(勇魚)」だったからです。
 鯨やイルカが可哀想という人々の多くは、彼らが人間に近い哺乳動物だからだという理由をあげるようですが、しかし大体、鯨が哺乳動物だというのは、西洋の連中の分類文化です。当方では古来、四つ脚で陸を走り回る獣(けもの=毛物)に対して、海や川でひれで泳ぐのは魚であって、当然鯨も、鯛や鮭や鮒と同じく「魚へん」の漢字で書かれてきたのです。
 というわけで、問題のひとつは、日本には「鯨を食べる文化」があった、ということではなく、「魚は食べても獣は食べない文化」があった、ということにあるのです。(続く)