鯨やイルカは可哀想3

 ということで、一昔前なら、例えばこんな風にもいえたわけです。
 「私たちは何より殺生を慎みながら生活しております。とりわけ、私たちにとっては、犬猫はもちろん牛や馬は一つ屋根で暮らす家族であり、姻戚である森の獣たちともども、彼らを殺生することは最も忌むべきことであります。
 しかるに何ぞや、聞くところによりますと、あなた方はとりわけ牛を食べ、また豚を食べ、何とあの可愛いカンガルまで食べるそうですね。あなた方の宗教には、殺生戒というものが一切ないのでしょう。かつて北米大陸に何百万頭といたという野生の牛を殺戮しまくって絶滅させ、彼らと共存していた先住民の人々を追い立て殺して、自分たちの国を建てたとのこと。豪州の先住民もまた、同様の運命を強いられたそうですね。そして、そのようにして彼らから奪った土地に、あなた方は今、自分たちの食糧にふさわしい種の牛を持ち込んで牧し、無慮何百万、何千万という牛を、次々と屠殺工場に連れ込み命を奪い皮を剥ぎ、その肉を焼いたり煮たりして喰らい、それのみかレアステレキとか称して血のしたたるような肉を貪ったりするそうではありませんか。何とおぞましくも怖ろしいことでありましょうか。
 しかしながら、それもまたひとつの文明であり文化なのでありましょう。私たちは、私たちと同じく手足をもち陸上で暮らす獣の殺生を忌む者ですが、しかし海に泳ぐ魚は食べます。獣を殺し血の滴る肉を喰らうのがあなた方の文化であり、獣の殺生を戒めつつ魚は食べるのが私たちの文化です。文化は、相互に尊重しなければなりません。ちなみに、鯨は人と同類だというのもひとつの文化なら、鯨は大きな魚だというのもひとつの文化です。分類こそ文化の基本だ、とあなた方の著名な学者、思想家がいっている通りです。
 牛を神聖な神の御遣いと信じる人々が、あなた方の文化に容喙して牛を殺すなと屠殺場に乗り込んだとは聞いていません。あなた方は一体何をしようとしているのですか。いや、文化戦争ではなく、絶滅を危惧しているのだというのですか。それなら、バッファローを絶滅させたあなた方が太平洋の鯨を激減させた歴史的責任を謝罪し、冷静に科学的な共同調査研究を提案すればよいだけです。」
 ・・・・・横行しているのは、明らかに、尊大な支配文化による、わが文化へのいじめであります。私たちは、自分たちを絶対化して恬として恥じない無神経傲慢文化に抗して、鯨食は私たちの文化だ、異文化を蹂躙するのか、と、文化戦争を戦いたいのであります。
 ところが、あにはからんや私たちは既に、ざんぎり頭以来和魂を捨て、西洋の家に住み西洋の服を着て、そして西洋風なダイニングテーブルで、血の滴るオージービーフやBSCビーフを食べているのであります。富士は信仰の山だ芸者遊びは旦那衆の買春文化だなどといってみても今は昔であるのと同様に、私たちは獣は食べないで、鯛や鮃を食べ、鯨という大きな魚を食べているのだといってみても、今は昔なのであります。
 世の中はすっかり「グローバルなう」なのでありまして、気が付けばギャルたちが、ステーキを頬ばりながら、会話したりしているのであります。「やっぱ魚よりお肉よねえ」「お肉っていえばさあ、鯨って食べたことある?」「そんなのないよ〜。可哀想じゃん」「そうよね。ホエールウォッチングは行ったことあるけど」「あ、見て見て、イルカ可哀想!」「残酷う!」