種目とハンデ

 最近は、夏も冬も、オリンピックの後にパラリンピックが開催されるようで、今やっています。
 しかし、昔から、もうひとつよく分からないのが、スポーツの種目というやつなんですが。
 オリンピックだけでなく、スポーツそのものが全て歴史的にそうなんでしょうが、全ての種目は、もともと健常者成人男子が基準になっています。細かくいえば、例えばネットの高さが背の高い白人男性基準だったりもするのでしょうが、そこまではいわないにしても、とにかく、健常者成人男子が競争する中からルールができ種目となったのでしょう。だから、子どもや女性や障碍者は、同じ土俵で戦えば負けます。ただし、負けるといっても、例えば100mを男女100人ずつが走った場合、女子のトップは、大抵の男子には勝つでしょうし、もしかするとビリは男子かもしれません。でも、平均的には男子の方が早いわけです。昔、人見絹枝の時代には、女子は800mも走れないのではないか、などといわれていたのですが、とんでもないことで、今は、マラソンなら42.195キロですか、それだけ走って、並みの男子では高橋尚子野口みずきに絶対勝てません。でも、トップランナーどうしを比べると、大体20分ほどの差がついてしまいます。
 そこで、オリンピックなどでは、いやオリンピックでなくても国体でも何でも、女性は女性だけで競う、障碍者は障害者だけで競う、ということになっていて、男子マラソンと女子マラソンと車イスマラソンは、別種目となっているのです。
 吉田えりという野球選手がいるのですが、ナックルという余人には投げられないボールを操って、男子に混じってプロ野球独立リーグで活躍し、実は私も応援に行ったことがあります。この冬にはアリゾナウィンターリーグで何試合かに投げ、時には三振も取るなど好投が認められて、先日カリフォルニアのチームからオファーを受けたということです。というように、彼女は、女子だけのソフトボールとか女子野球という種目を選びませんでした。その想やよし。といってもやはり身長も体格も、巨大なアメリカのプロ野球選手にはとても敵いません。ナックルという、そんじょそこらの男子投手には投げられない球種を武器にしているとはいえ、超一流選手としてメジャーで活躍できるかとえば、かなりきついでしょう。
 ということで、やはり女子という別枠で、障碍者という別枠で、となるのは、無理ありません。
 しかし、分からないのは、別枠の種目です。何故、成人男子が基準である、同じ種目から離れられないのでしょうか。以前、フェミニズムの有名な論客と体育教師とたまたま同席したことがあり、その際、同じ疑問を出してみたのですが、質問の趣旨が理解してもらえず、「同じじゃないですよ。例えば球技でネットの高さを変えています」、といわれ、面倒だから黙ってしまったことがあります。
 ナックル姫吉田選手のように性別を越えて同種目で戦う、という志をもたずに、同じ種目なら男子に敵わないから別枠にする、というのなら、それはそれでひとつのやり方でしょう。だが、それなら何故、同じ種目にするのでしょうか。いや、同じではなく、ネットの高さを低くしたり、試合時間を短くしたりして。
 ここからは、いつもの暴言ですが(^_^)・・・、例えば女子マラソンの最高記録は、かつてより急速に差が縮まって来ましたが、それでもオリンピックで男子の記録を抜くということはないでしょう。それよりいっそ、例えば距離が10倍の420キロで「給水なし」という種目を作ればどうでしょうか。もしかして、女子選手がトップになるのではないでしょうか。距離はもっと短くしても、「給水なし」にすれば、男子は音を上げるのじゃないかなあ、と思うのですが。いや、これはダメかもしれませんが、とにかく今の種目そのものが、成人男子が有利にできているのですから、女子が有利な種目を作るのです。ダメなら何か他の手を考えてください。絶対、何かある筈です。(ただし、女子の特性というとすぐ、優雅なフィギュアスケートのようなものを考える向きがあるかもしれませんがそれはダメです。主観で勝っても、やはり4回転は飛べないからです。)
 パラリンピックでも同じです。同じ種目を自分たちもやれるのだ、やるのだ、という気持ちは分かりますが、バイアスロンという種目があるからといって、同様に銃を撃つなどというようなことはやめて、障碍者ゆえに勝つ種目を考えるのです。例えば、障害物のあるコースの立体模型を5分間与え、その記憶と皮膚感覚を頼りに、目隠ししてコースを通り抜けることを競うレース。障害物や壁に一瞬でも触れると失格というルールにすると、日頃触覚と皮膚感覚が研ぎ澄まされている視覚障碍者が金メダルを取るのではないでしょうか。これも、もっといい種目を何か考えてください。
 成人健常男子に有利な種目をまねしている限り、最初から負けることが決まっています。別枠でやるのなら、女子の方が有利な、障碍者の方が有利な種目を、何故作らないのか、と思うのですが、多分それは暴論で、何か、そうしない理由があるのでしょう。おそらく、その背景には、「別だ」ということと「同じだ」ということの、難しい関係があるのでしょうね。