誰が仲間か

 人は誰のことに心を痛めるのでしょうか。
 アグネス・チャンという方は、遠い国のことに心を痛める代表者のような方として有名です。先日は、遺書を書いて内戦の「ソマリア」に行ったということになっていますが、実は全く安全な「ソマリランド共和国」に観光旅行に行ったようで、慈善を商売にしている最低の人間だと、一部で大変な悪評を買っております。まあ、チャン氏にしても、商売だけだなどというようなことではなくて、確かに、遠い国のことに心を痛めておられはするのでしょう。
 ただ、心を痛めてどうするかということなのですが、彼女は、しかるべき募金にひそかに黙って寄付をするようなタイプではなく、熱心にまわりを説いて募金活動をするといったタイプのようです。それは大変結構なことだと思うのですが、ただ、黒柳徹子氏や藤原紀香氏などに比べても本職の陰が薄く、むしろ慈善活動をしている人として有名になられ、関連する名誉職に就かれたり講演に呼ばれたりとかで、そうするとお金も入ってくるのかどうかは知りませんが、とにかく豪邸にお住まいになっているというようなことがあって、商売などといわれたりしてしまうのでしょう。まあ心の狭い貧乏人のやっかみかもしれませんし、ご本人は気にされていないご様子です。
 ところで、例えば飢えている人がいたとして、その飢えを「ひとごと」のように思うか「わがこと」のように思うか、その境目は、歴史的社会的に狭まったり拡がったりするわけですが、結局それもまた近代には「国民国家ネーションステート」という枠に収斂し、例えば遠い海外での飛行機事故ニュースの見出しが、「日本人は乗っていません」、などとなったりします。
 ついでですが、私たちは、「日本人は乗っていません」というとき、無意識にせよ「同胞」ということばを思い浮かべるでしょう。同胞、「はらから」で、つまり母系的な血縁的共同体であり身内共同体です。一方、「同胞」を和英辞書で引くと、「countryman」「compatriot」ということばが出ています。同じ「国」でも、ステートは政治体に、ネーションは人に傾いているのに対して、カントリーは土地に傾いたことばですから、「countryman」は、いわば同郷人のようなニュアンスでしょうか。また後者は、「patriot」にcomがついていて、「patriot」はpatriotism愛国心のpatriotで「父祖伝来の土地」というような原義らしいので、やはり同郷人、祖国を共にする者、というようなことでしょうか。ともかく、血縁よりもむしろ地縁、母系ではなく父系、による靱帯であり共同体のようです。多民族国家ですから、「母系の身内」意識のようなものは、やはり縁が薄いのでしょうが、代わりにというかだからというか、強い父親的ボスが銃を手に護る国土に共に住む者、といった仲間意識が、本来は、いわゆるアメリカ的愛国心の源泉として期待されるのかもしれません。
 さて、そのようにして、血縁地縁母系父系いずれにしても、同国人のことは「ひとごと」でなく気になるわけで、例えば、先週アメリカ兵に殺された300人以上のアフガン人のことは「ひとごと」ですが、アメリカ兵の5人の死は、ひとごとではありません。
 ところが、実は私、有名な『シッコ』というのを見ていないのですがm(_ _)m、人々がそれら5人の「自国」兵士の戦場での死に大いに関心をもつのは、兵士らが、彼らの代わりに、彼らのために、彼らによって送り込まれた者だからであって、傷ついて帰国した兵士らが、日本風にいえば畳の上で、あるいは路傍で、慈善病院で、死を待っているときには、人々の関心は大変薄いようです。
 一昨日、米上下両院は、医療保険改革法の修正案を可決。オバマは、「1期目の終わりまでに国民皆保険の法案に署名する」と宣言した公約を、何とか達成し、人々は「Yes We did!」 と歓声を上げたようです。が、まだまだ反対が多く、納得定着するまでには、時間がかかりそうだということです。
 アメリカは(だけではありませんが)、すさまじい貧富格差国家です。いったん大きな格差ができてしまうと、高額の税負担をするリッチ層と税金など払えずむしろ福祉に頼るプア層の間に、大きな溝ができます。当然、共通の「身内」意識などというものは、大変怪しいものでしかなくなるでしょう。
 戦争については、アメリカは、プア層の若者に志願を強制し金をかけて兵士に仕立てるという兵制、つまり[リッチ層が金を出し→プア層の命を買う]という仕組みですから、リッチ層からすれば、折角買ってアフガニスタンに送り込んだ命の消耗には関心をもつでしょう。「ひとごと」ではありません。けれども、戦争とは違って、福祉というのは、彼らから見れば、「われわれリッチ層が金を出し→プア層が受益する]、という、一方的な支出分野です。
 例えば医療保険なら、リッチ層の互助会的保険の方がはるかに得なわけですから、「どうして俺たちが出す税金を使って、連中の保険料まで面倒見てやらねばいかんのか」ということになります。「プア連中」の病気や怪我は、「ひとごと」であって、鯨や海豚には大いに心を痛めても、プアな人間には心を痛めないのです。ただし、プアな人々には心を痛めなくても、そんな自分に心を痛めるということはありますので、結構「慈善」というのが盛んなのですね。つまり、自分が、プアな人々のことを「ひとごと」だと思うような、そんな人間ではないということを表明しようとするわけです。アグネス氏の場合はどうでしょうか。
 また横道に入りそうになりましたが、しかし、このような図式は、医療保険の問題だけではありません。もちろんリッチ層は、「国」という「身内」共同体を徹底的に利用するわけですが、しかし一方、プア層を抱え込まずに、自分たちだけで互助的な「身内」共同体を作った方が確かに「トク」だという分野を、あらゆるところに見つけるのです。(また、明日)